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2 手作りサンドイッチを作る朝

 ルチアとアントニーはもともと美術大学の同級生だった。ルチアが初めてアントニーを見た時、石膏デッサンのモデルのようだと思った。何ひとつ欠点のない、黄金比を保ったような顔はいつまでも眺めていたいようだった。実際ルチアは大学でアントニーを見かける度に、魔法にかかったように見入ってしまった。石膏モデルにはない黒い髪、黒い瞳、赤い唇を見ることで、ようやく彼が生身の人間であると実感するほどであった。
 
 「美とはバランスだ」と言ったのは、イタリアのとある画家だった。
 その言葉を借りるなら、彼の外見は完璧な美を現わしていた。顔は今どきのテレビタレントのように小さく、体つきはほっそりしていたが適度に筋肉がつき、長身に比例して手足も長かった。首の後ろの真ん中にあるほくろさえ、神様が念入りに設計したのではないかと思われるほどだった。二人が親密になってから、そのほくろのことを、ルチアは「はずかしがりの星」と呼んでは、キスを捧げて戯れたものだった。
 
 アントニーはその不躾な視線を感じるつど、その先にあった女の子を意識せざるを得なかった。口を一文字にして、まるでにらんでいるみたいだったからだ。
「ねえ、君、僕の顔になんかついてる?」
もし、ナルシストの男がこう言ったら、鼻持ちならない台詞になってしまうが、アントニーは自分の美しさを自覚していなかったし、たとえ自覚してたとしても表面的な美しさというものをあまり重要視していなかった。

 それがきっかけとなって友達になり、ルチアの情熱に押されていつしか付き合うようになった。
 ルチアはアントニーと付き合うようになって、彼が自分の容貌にさして自信を持っていないことに驚く。何かにつけ「僕のどこが良かったの?」と聞くのだ。
「顔よ!」と答えると、大げさに肩をすくめ、「君、近眼?」とまじめに言葉が返ってくる。
 そんなアントニーの自分の美しさを自覚していないところや、買ったばかりの白シャツに油絵の具のしみをつけても全く気にしないところや、絵を描くこと以外のこと(アントニーは油絵を専攻していた)に対してあきれるぐらい無頓着な事を知って、ルチアはますます彼のことを好ましく思った。
 オープンテラスでデートしている時、どんなにかわいい娘が通ろうとアントニーは決して視線を泳がせない。そんな時ルチアは心の中でつぶやくのだった。元カレのレオナルドとはえらい違いだわ、と。

 ルチアは幸せなキャンパスライフを過ごした。たとえ、途中一年間アントニーが休学してインド・ネパールの旅に出てしまった時も、一抹のさみしさはあったものの、浮気の心配をすることがなかったし、実際アントニーは浮気をしなかった。
 それよりも世界で一番美しい男がどこにいようとちゃんとメールを返してくれることが嬉しかった。それがいつも返事ばかりということに気づいていたが、それが愛情の少なさとは思わないようにしていた。ルチアはそう欲張りではなかったし、現状に満足してた。
そう思うことがこの恋を長続きさせる最良の策だと、直感的に感じていたのかもしれない。
 アントニーが旅先から必ず持って帰るおみやげも、ありきたりのものではないこともルチアのロマンスを盛り上げた。どのおみやげにも、素敵なストーリーがついていたからだ。
 例を挙げると、ネパールの4千メートルを越えるような山の頂上にあった白い小石だとか、、シリアに行った時はかの地の女王ゼノビアも使っていたというオリーブ石鹸だとか、ラマの骨で作った横笛だとか(妙に哀しい音色だった)だった。
 ガンジス川のほとりで書いた夕焼けに私の姿も書いてある絵はアパートの玄関すぐに今も飾ってある。
 もっともアントニーは抽象画を得意としていたので、言われるまで、それが果たして人なのかどうかもわからないような絵であった。
 旅に出かける毎にカレの作品は抽象度は増した。旅でもらったインスピレーションがそれらを書かせてくれるとアントニーは信じていた。
 こうしたいきさつがあって、ルチアは一足先に大学を卒業し、社会人となった。
アントニーはそれからまた放浪の旅に出ることが何度かあって、大学院に進みながら、未だ大学に席を置いている。

ルチアの住むアパートは「ローマ庶民の街」とも言われ、古い教会など昔ながらの風景が残っている場所でもあるトラステヴェレ地区に位置していた。
 
 ここから勤め先である「バリオーニ画廊」までバスで約20分。ルチアは美術大学を卒業してから、自分の才能のなさを実感し、自分で描くことはしなくなっていた。画廊では受付兼ボスのアシスタントが主な仕事だったが、少なからず大学で学んできたことが役にたっていると自負していた。
 その証拠にオーナーのバリオーニさんは(なんかとてつもなく金持ちらしい。客も金持ちばかりだったので、金持ちばかりの中でルチアは浮かないように、いつも精一杯背伸びしていた)ルチアによく意見を聞いてくるのだ。
「若い人から見てこの作家はどう?」とか。
 そんな時ルチアはつい饒舌になり、あとでしゃべり過ぎたかな、と反省する。バリーオーニさんは聞き上手で、ルチアのおしゃべりが脱線していく様子も面白がっている節があった。
 そして話が一段落すると、「君ってほんとにチャーミングだね」とか「口紅の色、変えたんだね。すごくよく似合ってる」などと言ってはルチアの頬を赤くさせるのも忘れない。
 バリオーニさんは今年五十才。離婚歴は二度ほどときく。正式に籍を入れなかったのを含めると二度では足りないだろう。今は一応独身らしい。
 いつもボルサリーノの帽子を頭に載せている。またそれがよく似合っていた。バリオーニさんに言わせると、外で帽子をかぶらないのは、紳士であろうと努力をしない怠け者だそうだ。
 彼が怠け者でない証拠は他にもあって、たとえば五十才なのに、全然お腹が出ていない所とか(美食と加齢と体型のくずれは往々にして比例するのに、彼はジムで汗を流すことを一週間に一度の日課にしていた)好奇心旺盛で、今話題の映画の話から政治、経済の話までその知識は多岐に渡っていた。
 おまけに金持ちときている。これで女にモテないはずはない。

 最初の結婚で生まれた娘と息子が二人いる。娘はクラウディアといい、ちょうど今年十九歳になる。クラウディアという名前はバリオーニさんのお気に入りの女優さんから取った名前らしい。ルチアはリアルタイムでその女優のことは知らなかったが、偶然テレビで放映された「ブーべの恋人」という昔の映画に主演しているのを観て、その華やかな容姿に魅了された。
「黒曜石だわ」
その女優の大きな瞳が濡れたように光る度、ルチアはうっとりとそうつぶやいた。
 ルチアは美人のたぐいではなく、どちらかといえば、ファニーフェイスだったので、正統的な美しさに弱いのだ。男でも、女でも。ボスの娘もなんとなく、その女優に似ていなくもない。
 時々彼女は画廊に顔を出しては、パパと連れ立ってディナーに行ったりしているので(バリオーニさんは娘に大甘なので、おこずかいもたぷりとせしめていることだろう)ルチアも仲良くしていた。
 年中日焼けしていて、健康そうな闊達でグラマラスな娘で、ルチアと妙に気が合って、おしゃべりに花を咲かせることも度々だった。バリオーニさんはそんな二人を揶揄して「黒百合と白百合のかしまし娘」などと言って笑わせた。
 ルチアはいくら焼いても赤くなるばかりの自分の白い肌が昔は好きではなかったが、今はそれほどでもない。かっこいいマダムになれなくとも、私には愛して止まない美しい男がたった一人いる! そう思うからだった。
 イタリアの上流階級のマダムはよく手入れされたこんがりと焼けた美しい肌を、一種のステイタスと考えている。それは長い夏のバカンスを取ることができ、そこでたっぷりと太陽の魔法を使うことが許されている経済力の表れであるからだ。クラウディアもそんなマダムの仲間入りをいつかするのだろう。
 
 バリオーニさんは絵画が専門だったが、それだけでなく、例えば古代の遺跡から発掘される壷などの古美術に対しても深い知識と選択眼を持っていた。今、売りなのは、アユタヤ王朝時代のタイの仏像だった。
 そしていつか恋人のアントニーの絵をここで売ることが出来るといいなと秘かに夢見るのであった。もちろん、現代アートの抽象画も取り扱っていた。

アパートの周囲に、気の利いたレストランが多いのも気に入っている。何より気に入っているのは、窓からの眺め。ルチアの部屋は三階にあったので、窓からジャニコロの丘の緑が一面に見渡せる。
 住宅が密集していて、窓を開けたらすぐ隣の建物の壁が見える、ということが当たり前のここローマで、奇跡とは言わないまでも、それはとても貴重なことだった。難を言えば、エレベーターがないことくらいであろうか。
 
 もともとは恋人のアントニーが、この建物の二階に住んでいたのだったが、ルチアはそこからの景色が気に入って、空き部屋が出たら入りたいと不動産業者に予約していたのだった。
 実際に空き部屋が出たのは、それから一年後のことだったので、その時は長年片思いしていた恋が、ついに叶ったかのように嬉しかった。
 二階と三階では、景色のグレードは思った以上に違っていた。いつもは、感情をあまり表に出さないアントニーだったが、この時ばかりは、悔しがっていた。

 そのせいもあるのだろうか。それからちょくちょくルチアの部屋に泊まっていくようになったのだ。朝日に照らされ、ジャニコロの丘が次第に目覚めていく景色を、小鳥が果実をついばむようなキスを交わしながら、何度二人は見たことだろうか。

 そんな朝、ルチアはアントニーの愛情を確かめてみたくなる。それが、いちじくジャムほど甘くはなくとも。でもアントニーの「愛してる」は常に「たぶん」のしっぽが付いていた。
「愛してると思う、たぶん」
 アントニーの口にする言葉はいつもほんとうの言葉だった。
 嘘がつけない。
 だから、「愛していない」という言葉でなくて良かったと思うしかない。口先だけの愛の言葉より、よほどいい。たとえ「たぶん」が一抹の寂しさや不安をつれてきても、だ。
 人魚姫は魚にしっぽがとれて、声を失い、王子様の愛を手に入れたのだとしたら、「たぶん」のしっぽがいつかとれたら、アントニーの真実の愛を手に入れることができるかもしれない。
 その代償として、自分は何を差し出せるだろうか。
 けれどあの美しい童話は哀しい結末ではなかったか……。そう思ったら、今のままで十分だとルチアは思うのであった。


 自分の部屋のベッドに寝転びながら、ルチアはいつのまにか、うたた寝をしていたらしいことに気づいた。
 ――旅で疲れたのかな――
 既に暗くなっていた部屋の電気のスイッチを入れ、鞄の整理を始める、汚れ物は洗濯機へ。化粧ポーチは洗面台の棚へ。鞄の底には、母親の手作りのいちじくジャムの瓶がふたつ紙袋に入っていた。
 小さな備え付けの冷蔵庫(この部屋にある家具のほとんどは備え付けのものである)にいったんはいれたものの、明日まで待てないわと思い直し、パンケーキを焼いた。
 砂糖控えめにしたそれは、いちじくジャムにとても合っていて、お腹いっぱいになるまでルチアは堪能した。
 もしルチアの母親が今夜の娘のディナーを見たらきっとこういうだろう。
「あらあら、それはおやつよ。いつまでたっても子供ね」と。
母親というものは、いつまでも子供扱いしたい生き物なのだ。


 パネテリア・エンリコの朝は早い。
ここに限らず、この当たりのパン屋はどこでもAM6:00頃から営業している。
ルチアは開店と同時に飛び込んだ。
「ボンジョルノ!」
 笑顔で挨拶を交わし合う。パンの焼ける香ばしい匂いは自然と笑顔を連れてくる。すでに店内には常連さんが二人。それぞれミニチュアダックスフントとポメラニアンを連れていた。
 ここの店の量り売りのピッツアも美味しいのだが、今朝はフォカッチャを4枚買った。横に切れ込みを入れてサンドイッチをつくるつもりだ。半分はハムを挟んで、半分はいちじくのジャムで。
 2枚は自分で食べ、もう1セットはナフキンに包んで、アパートの階下に住むアントニーの住む部屋のドアノブにかけて置いた。
 たぶんアントニーはまだ寝ているだろう。
「あとで電話して!」とメッセージを書いたカードも一緒に入れておいた。ルチアはいつも大体こんな風にして朝食を届けている。(一緒に食べる時以外は)メッセージは「おはよう」だったり「今日は洗濯日和だよ」とかたった一言でも添えるのがルチアのやり方だった。
 携帯電話のメールは便利であるけれども、手から生み出される一枚のカードがくれる温かさと比べると味気ないと思う。母親のいちじくジャムのように、手から生み出されるものをルチアは信じていたかった。

 決心が変わらないうちに、アントニーに話してしまおう。
善は急げ。善、になればいいのだけど。
 今夜、話してみようとルチアは思った。二人の大切な未来について。
 「たぶん」が取れるのか、それとも……それを考えると、心臓が早鐘のように鳴る。
祈りにも似た気持ちで、ルチアは出勤していった。傍目にはいつもと同じようにサンドイッチを作る朝、けれど何かが変わる予感を秘めた朝であった。
by soranosanngo | 2012-05-03 17:06 | HIKARU果実【ルチアの物語】 | Comments(0)