わからない、という評価

 雨の暇祭り、いや、雛祭り。うちのお雛様は出してもらえず、ごめんなさいというしかない。

 昨日送られてきた「詩と思想」三月号の読者投稿欄の入選作を読んで、それまで選ばれていたものとがらりと変わったかんじがした。選者が変わるということは、こういうことなのだと納得。
 
 詩はどこまでも自由であっていいはずで、だから評価の基準だって自由でいいはずなのだ。
 
 わからないから選ぶ、読者を置き去りにしているから選ぶ、それもありなんだと納得できる。

 けれども悲しいかな、私はわかりたいと思うし、置き去りにされたらすがりつきたくなってしまう、タチなのだ。

 感性という御旗を振られたら、ああ、私は凡人だなあと白旗を掲げるしかない。

 けれども、わからないものを読むのは苦痛です。(偉そうに、と感じたら、ごめんなさい)現代絵画を楽しむように、楽しめればいいのだけれど。とこっそり開き直りのような、本音でこうして日記を書いてみる。

 それをひっくるめて、私は詩というもの全てを肯定したいのだから、始末に負えない。

 こんな日は、みすゞの言葉が臓腑に沁みる。
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Commented by utakatarennka at 2015-03-06 13:37
私も「わからない詩」というものは苦手です。
意味が分からなくてもいいけれど・・・言葉ひとつでも共感できれば、いいのかもしれないですね。
しかし「わからない」から評価という、選者の考え方には共感できかねる。
Commented by soranosanngo at 2015-03-06 16:19
utakatarennkaさん、コメントありがとうございます。
私もいいなあと思う詩は、自分なりにわかる詩です。
けれど読者投稿欄という意味合いを考えれば、必ずしも完成された詩を求める場でないということ、わからない評価というものも成立するのかもしれないと思ったりしました。
by soranosanngo | 2015-03-03 14:35 | 珊瑚の気まま日記 | Comments(2)