読書note「笹の舟で海をわたる」角田光代

一枚の笹舟。それが川をくだり、海へ出てゆく。
それが一人の女の人生をメタファとして立ちあげるような物語だった。

人は選んで産まれてくることはできない。
たとえば、時代。戦争のあった時代、幼かった主人公は疎開地で過ごす。
そこでの過酷な生活。飢えというものは想像がつくが、飢えた者の中でのいじめ。
いじめた方は時間とともに、その記憶を失い、いじめられた方は忘れられない。
人の記憶とは都合よくできている。
忘れられない記憶が、それからの長い一生を左右してしまうほど強烈だったとしたら
悲劇だと思う。
「ばちがあたる」とか「因果応報」とかは童話や昔話になかのことわりであり、現実的には起こらなかったりする。そもそも「ばち」をあてることが出来るのは誰なのか。
けれど主人公の義理の妹となった女は、そんな忌々しい記憶さえ、生きる糧として
いうなら「勝ち組」として人生を渡ってゆく。
荒波さえ人生の醍醐味とでも言って楽しむように。
まるで計画通りに生きてゆく義妹のしたたかさが、ちょっとこわくもかんじる。
主人公の生き方はそれに対極的だ。
結婚して根を下ろしたような気持になっても、いずれ家族はばらばらになり、住む家さえ変えざるをえない。
家族がいるから幸せだというのは一方では幻想で、家族があるがゆえの苦悩がそこにはある。
年齢を重ねても、人生は海をゆくよるべない笹の舟のようなのは変わりない。
どこへという目的もないまま、ただ渡ってゆくしかないのだろう。

小さい頃、笹舟を作ってふるさとを流れる川に流したことがあった。
子どもの遊びというものは単純にやっていながら、あとになって思い起こせば実は深いことを秘めていたような気もする。
わたしが流した笹舟は、海へたどりつけたのだろうか。
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by soranosanngo | 2016-03-11 13:58 | 読書ノート | Comments(0)