詩「一番電車を待つ間」
2016年 05月 06日鉛筆と紙はすでに失われていた
私の詩は
書かれたものではなく
キーボードから産まれたものだ
しんと静まり返った
とある夜
白いキーボードの配列が動き出す
慣れ親しんだ手順を
私は捨てなくてはならないだろう
それでも
詩は
からだの一番奥底にあって
ひそかに湧いてくる
こうして
一番電車を待つホームにいて
まだうすぐらい手探りの
そう、闇ともよべる時間の中で
やがて
線路の向こうから
光降る朝が来ることを信じているように
私はてのひらで
すくい、つづける
水のような詩を
詩のような水を
喪失と再生は
背中合わせに在るものでなく
球体のようにまじりながら
文字にするための
透明のエンターキイをさがしあっている
by soranosanngo
| 2016-05-06 08:13
| 詩
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