カテゴリ:背中に青空(掌編小説)( 1 )

背中に青空

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「おはようございまぁす」

 世界で一番愛しい声が聴こえる。背中に小さな青空を背負って今朝もやってきた。
 5年前小学校へ上がる時、デパートのランドセル売り場(まるでマカロン売り場みたいなカラフルな色が並んでたっけ)で、百々(もも)が選んだのはちょっとパステル調の水色だった。

「これがいい! あおぞらのいろ!」
 スポンサーである私の母が苦笑いを浮かべながら「ピンクや赤もかわいいよ」と、なんとか女の子使用の色にさせようと思って声をかけたが、頑として譲らなかった。
 私が小さい頃は存在していた女の子色、男の子色という概念は薄くなりつつあるのかもしれない。 母も結局は水色のそれを背負った百々を見て「あら、案外かわいいねえ」と目を細めた。
 試しにそれを背負ってみせた姿は、小さな背中で一生懸命大きな空を背負っているようで思わず私も「似合ってるう。百々ちゃん」と叫んでしまったっけ。
 だんなといえば、横で私だけに見えるようにわざとらしく口を動かした。「バ、バ、バ、カ、オ、ヤ、バ、カ」パパはノリが悪いよね。

「おはよう、百々ちゃん」
「おはよう、よう来たね」
 すっかり顔馴染みになってしまった同じ病室の人たちが声をかけてくれる。学校への通り道にある病院に入院して一週間。毎朝のように百々は、やってくる。(以前に何度か入院していたことがあるので、馴染みの病院である)

 6人部屋の病室の一番奥の窓側が私のベッド。
 本当は面会時間外なのだが、大目にみてもらってる。同じ部屋の人も取り立てて、その事について異議を唱える人もいないので、甘えさせてもらってるのだ。
「おはよ、ママ」
「おはよう、百々。今日からプールでしょ。いい天気で良かったね」
「うん、プール楽しみだなあ」
「いいなあ。こんな日は特に水が気持ちいいだろうね」
 私は生まれつき心臓に欠陥があってプールはもちろん体育もほとんど見学するだけだった。しょっちゅう熱を出して学校もよく休んだ。だから既にこんがりと日焼けした娘の顔を見ると、まぶしくて、心の底から嬉しさがこみあげてくる。
 青い空に入道雲が湧き立っているのが見えた。

「来月のママの誕生日、何が欲しい?」
「なんにもいらない。百々がいてくれるだけで充分だよ」
 私に似て少しクセのある髪をブラシで梳かしながら、いつもの三つ編みをふたつこしらえる。編目のひとつひとつがほんの隙間もないほどきっちり編まれた三つ編みは生真面目なうえ美しい。これだけはパパには出来ないんだよね。
 百々、あなたを身ごもった時、パパもバーバもジージも産む事を反対した。
 私の心臓がもたないのではないかって。
 私は「絶対もたせるから」と今にして思えば根拠のない自信で皆を説き伏せてしまった。

 子供を産みたい。それは何物にも変えがたい強い欲望だった。
 その欲望が叶えられた今、だからママはもう何もいらないんだよ、百々。

「ママったらあ。そんなこと言っててもケーキは食べるくせに」
「えっケーキはプレゼントに入るの?」
「どうかなあ」
「遠足のバナナはおやつに入る?」
「バナナはデザートでしょ。おやつじゃないよ。えっと何の話だったっけ? ママの話はすぐ変な方へ行くんだから」
 笑うと眼がなくなってしまうところはパパ譲りだ。
 そんな他愛のない会話さえ、宝石に彩られた特別な朝に思えてくる。
 来週はいよいよ手術だ。どんな手術にしても百パーセントの安全は保証されない。もしもの時のために何かを記しておきたくて、便箋に「百々へ」と書き出したものの、それが本当に遺書になってしまうのが今さらながら怖くて、その先は書けずにいる。

「あっもう時間だ。じゃあね、行ってきまあす」
 あわただしく百々は病室を出て行った。代わりに朝食のワゴンが運ばれてくる。
 欲望に無縁となったからには、どんなに味気ない朝食でも美味しくいただかなきゃね。

 たくさんの幸せがあるようにと百々と名づけた。千では欲張りになりそうだから、百々。

 しばらくして病院の入り口を出て走っていく百々の姿が眼に入った。
 今日も背中に青空を背負って百々が走っていく。
 雲ひとつなく晴れ渡った青空を背負って走っていくんだ。
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by soranosanngo | 2011-09-20 12:10 | 背中に青空(掌編小説) | Comments(4)