カテゴリ:純文学( 1 )

冬の道

 髪の毛は本体から切り離された瞬間に、なぜか禍々しいものとなる。

 私は、美容院の磨かれた鏡をみつめる。今しがた切ったばかりの私の黒い髪を、美容師見習いの女が集め、片付けていく。
 磨かれた鏡は哀しいくらいに、とても正直だ。
 呪いの言葉さえ映し出していくようじゃないか。

 私は幸せになりたかっただけなのに。
 愛は幸せを約束してくれるものじゃなかった。
 あの人は突然出ていった。世間では、笑っちゃうくらいよくある話。

 愛は本体から切り離された瞬間に、とても禍々しいものになる。
 膨れたこの腹を見てよ。堕ろすことも、もう出来ない。

「何ヵ月ですか?」
「9ヶ月です」
「まぁもうすぐですね。楽しみでしょう」
「ええ、とても」
 嘘つき! 世界が終わればいいと思っているくせに。

 美容院からの帰り道近道をして公園を横切った。陽の当たらないそこは踏むとザクザクと霜柱がつぶれる音がした。

 ザクザクと。

 冬の空は低く、あっけないほど澄んでいる。

 私はやけっぱちのように、霜柱を踏み倒して歩いた。

 1ヶ月後私はたったひとりで子供を産み落とした。電気ストーブをたったひとつのよすがにした、小さな小さな夜に。
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寒くなれ
痛いほど寒くなれ
凍れば凍るほど
僕は強くなる
霜柱

一晩かかって
地面を持ち上げる
どうしてそんなことを
するのかって
そんなこと聞かれても
実際のところ
わからない
自分が誰だなんて
実際のところ
みんなわかってない

誰も誉めてはくれないけれど
僕は
霜柱として生きていくしかない

そのうち
ランドセルを背負った
無邪気な破壊者たちが
僕を踏みつけていく

ザクザクと

今朝も遊んでくれてありがとう、と
いうべきか
ちくしょう台無しにしやがって、と
いうべきか

唯一
僕を踏まない子がいた
小夜子ちゃんだ
袖の短い誰かからのお下がりの青いセーター
ヒダがすっかり無くなったよれたスカート
伸びて垢のつまった爪
何日も洗ってないベトベトの髪

小夜子ちゃんは
僕のことを
かわいそう、という
僕から言わせれば
小夜子ちゃんのほうが
かわいそうだ

お父さんの顔を知らない
小夜子ちゃんが生まれる前に
逃げてしまったから
水商売をしている
お母さんは
明け方帰ってきて
まだ酒臭い夢の中
客の枕代を
化繊のドレスの胸に押し込んだまま


小夜子ちゃんは
今朝も一人で菓子パンの袋を破る
クリスマスはクリームパン
正月はメロンパン
それでも
今朝は何パンかなと
胸躍らせる小夜子ちゃん

誰も聞いてはいなけど
いただきますとつぶやくんだ
誰も見てはいないけど
そっと掌を合わせるんだ
今日はあんぱんだ
パンの端を少しだけ残して
ポケットにしのばせる

手袋を持たない
しもやけで赤黒くなった小さな手で
パンの端を僕の上にまいていく

しばらくすると
雀がやってきて
おしゃべりしながら
それをついばんでいく

小夜子ちゃんは
知っている
僕の孤独を知っている
雀の空腹を知っている
たったひとかけらのパンくずが
孤独と空腹を同時に癒すことを知っている
自分がどうして自分であるのかを
悲しんでみたって仕様のないことを知っている

午後に
僕はぬかるんでぐちゃぐちゃの
それは見事な泥になった
心はほのかに温かい

寒くなれ
凍って凍って
再び僕になれ

そして踏まれてやれ
ザクザクと

水は変容を繰り返す



※写真はGATAG Free Photo 1.0様より
Walter Watzpatzkowski 様の作品をお借りしました。
http://www.gatag.net/
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by soranosanngo | 2012-01-18 13:01 | 純文学 | Comments(0)