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「母と暮らせば」

クリスマスが終わったばかりの広島市内の賑わいは、暖冬のせいか、ダウンジャケットの人の確率が低かった。
八丁座(二時間座っても全然おしりが痛くならないという椅子というかむしろソファと呼ぶべき椅子で観ることが出来、足だって存分に伸ばせる。私は日本一の映画館だと思う。隣接するカフェもいい!夫婦どちらかが50歳以上なら二人で2200円!)で映画「母と暮らせば」を観る。夫と息子と三人で。娘は部活で来れなかった。長崎の原爆のあと、三年経ったお話で、亡くなった息子(二宮くん)が母(吉永小百合さん)のもとにあらわれるという話。

この映画は井上ひさし原作の「父と暮らせば」(広島原爆後の話)と対をなす意図で山田洋次監督が制作したそうだ。生前、長崎の原爆の話も書いてみたいとおっしゃられていた井上ひさしさんの遺志を継ぐものらしい。
私は数年前、「父と暮らせば」を観て、とても感銘を受けた。原爆後、生き残られた人々がいろいろな苦しいことを乗り越えて、それでも強く生きていこうとする姿に。

「母と暮らせば」冒頭の大学の教室で、今まさに自分の頭上で原爆が落ちた疑似体験をしたかのようなシーンはショッキングだった。何が起きたかもわからないまま、日常の営みの中の一瞬で命を奪われるという理不尽さ。亡霊になった息子も、原爆さえなければ医者になり婚約者と結婚し家庭を持ち子が生まれ母とともに生きていくという将来があったのに、本当に無念だったと思う。ラスト近くのシーンで、母親が、亡くなったのが我が子でなくて、あの子であったらよかったのに、と言うセリフがある。そんなふうに思ってはいけないとはわかっていても、それは子を誰よりも愛しているからこその親の真実の一面かもしれない。心優しく前向きな母親にだって人をねたむ気持ちがあって当然だと思う。このシーンは「父と暮らせば」のあるシーンにも重なるところ。そんなふうに思ってしまう自分のことを「悪い母さんね」とつぶやく。本当に悪いのは戦争なのに。

もちろん悲しい映画ではあるのだけど、母と息子のやりとりはどこかほのぼのとしていて笑いもある。長崎弁はちょっと広島弁にも似ていて、方言っていいなあとしみじみとした。
キスシーンを連想させる場面があったが、あえてその絵は入れなかったのは、こどもにも観てもらえるような配慮ではなかったか。グロテスクなシーンも残酷な戦闘シーンもない。(主人公の兄が母の夢枕に立ったという回想シーンだけ、この映画の雰囲気ががらっと変わってちょっと怖い)あるのは理不尽に死んだ人の深い悲しみと生き残った人の深い悲しみ。それでもラストシーンにあたたかいもの、なにもかもを浄化するような、一言でいうなら、愛のようなもの、を感じたのは「父と暮らせば」の映画と同様だった。

息子は亡霊なので映画館にも入りたい放題。観てきた映画について母と話すシーンの中で「アメリカって不思議な国だ。あんなに美しい映画を作るのに、おそろしい原爆も作るんだから」みたいなセリフがあった。平和を願い、美しいものを愛するのがほんとうの人間らしさだと思いたいが、そこに国家というものが加わると、ねじまげられてしまうのかもしれない。

映画を観て、ランチをとったあと、来られなかった娘のために福屋の地下「みっちゃん」で焼いてみらったお好み焼きを買って帰った。
お好み焼きの店の名前に女の人の名前が多いのは、戦後広島で生き残った女の人たちが、払い下げになった船の鉄板を利用して(広島の呉市は軍港だった)キャベツと小麦粉を使った食べ物を売る屋台を開いたからだとか。たくましいなあ。配給制で、食べ物がなかった時代、そうやって人は工夫して飢えをしのいでいたのだなあと想像する。
平和な世の中になりますように。新しい年がどうか平和でありますように。

2015.12.27
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by soranosanngo | 2015-12-27 10:48 | シネマレビュー | Comments(0)

 ある日本の青年医師が、アフリカで医療に従事し、そこで出会う人々、日本の残してきた恋人などが織り成す物語。
 あえて、なぜ、危険な内戦が続く地で、彼は働くという道を選んだのだろう。
 日本に戻れば、もっと便利で安全で豊かな生活が保証されただろうに。

 人が自らの一生をかけて、選ぶその道は、もしかしたらその人の「器」によるところが大きいのではないだろうか。
 この映画の主人公はそういう意味で、とても大きく深くそして温かい器を持った人間なのだろうと思う。
 医療キャンプで、せっかく怪我が治っても、再び戦地へ赴く人々。手をつないで地雷原を歩かされる子ども達。死への恐怖をなくすために麻薬漬けにされた少年兵士。
 悲惨な現実の前に、彼はくじけることなく、いや、もしかしたらくじけそうになりながらも、最後までその志を曲げなかった。
 襲われて「撃て」と渡された銃を「僕は医者だ」と言って人殺しの道具の引き金を引かなかった。
 自分の命を守るために、それを打ってたとえ相手を殺してしまったとしても、誰も責めはしないだろうに。(この映画は、さだまさしの同名の曲を基に作られたそうで、その曲にはモデルになった実在の方がいるそうだ。エンドロールに取材協力としてそのお名前があったようなので、映画のこのシーンとは違い、現実には元気なのだろうと思う)

 彼の命はなくなっても、その遺志は確実に受け継がれていく。
 キャンプに作られた孤児院では、子ども達が「いただきます」と手を合わせて食事する。

 東日本大震災と思われる場所で、彼に「ミケ」と名付けられたかつて少年で、成人して医師となった黒人が、日本人の少年に手をさしのべる。

 感動する映画とひとくくりにすると、拒否反応を感じる人もいるかもしれない。けれどそういった押しつけがましいところはなく、見終わったあと、とても爽やかだった。主演の大沢たかおさんの笑顔によるものも大きいのかもしれないが、とても素直に惹きつけられる映画だった。

 ひどいことをする人間もいる。テロや戦争で命を落とす人がいる。
 けれどこんなふうにまさに「風に立つライオン」のように、素晴らしい生き方をする人もいる。
 もしかしたら彼の志は、風に乗り、あちらこちらで芽を出し、美しい花を咲かせているのかもしれない。春の大地に芽吹く花のように。
 風には国境などないのだから。
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2015.3.19.広島八丁座にて。


「No Country」そらの珊瑚

風が
やすやすと
国境を越えてやってくる

クリスマス寒波に
背中を丸めて帰りを急ぐ人の
ひとりに、ひとつ
用意された家路をたどれば
夜に沈んだ土地に
ぽつり、ぽつりと
灯りがともされれば
人がいとなむ家がそこにあることを知る

あのひとつ、ひとつが
国だったらいいのに
おしょうゆ、きらしちゃって、と
おとなりさんに
借りにゆく気軽さで
人も
国境を越えていければいいのに
(だけどそれが叶わぬことだと知ってしまった、
 人だからゆえ)

風が
渡り鳥を連れてくる
春になれば
彼らが自らの体温を使って
温めた卵から
命が生まれるだろう
その翼は
かるがると
国境を越えていく
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by soranosanngo | 2015-03-20 14:34 | シネマレビュー | Comments(0)

「父と暮らせば」

この映画を観るのは二度目でした。

「父と暮らせば」井上ひさし氏が書いた、もとは舞台作品。

原爆投下の3年後、廣島はヒロシマになり、そこで生きる生真面目な美津江(宮沢りえ)と、原爆で亡くなったはずの父(原田芳雄)が現われて、数日を過ごす物語です。

かなしい映画です。
「うちはあの時に死んだ方が自然だったんじゃ。幸せになってはいけんのじゃ」という美津江。
けれど父は娘が幸せになってくれるよう願って、幽霊となって現れた。

切ない映画です。
死んでもなお大切な人の魂はずっと寄り添っていてくれるのではないかと信じたくなる映画です。

反戦の映画です。
被爆瓦は一瞬で太陽ふたつぶんの温度を浴びて、泡立ち、いくつもの刺を持つということです。

それでも愛があふれた美しい映画です。
宮沢賢治の歌を口ずさむ美津江の歌声のうつくしさが胸を打ちます。
瓦礫の中に最後に咲く二輪の白い花は何を象徴しているのでしょうか?
井上ひさし氏は、そこに希望や再生の願いを込めたのではないかと思います。

美津江がずっと幸せならば、きっと父と暮らすことは二度とないでしょう。
ある意味父の亡霊を生み出したのは、紛れも無く彼女ではなかったか。
原爆で親友は亡くなり、その母親から「なんであんたは生きとるん」と責められ、父親を置き去りにして、広島から逃げてしまった自分を許せないでいる美津江。

人を好きになっていいんだよ。
幸せになっていいんだよ。

父親にそう言ってもらって、一歩を踏み出すために背中を押してもらいたかったに違いない。
それはまた、父の願いでもあるでしょう。

この映画のセリフは広島弁で語られています。それが、なんともぶっきらぼうのようでいて、正直で温かみのある味わいなのです。まさに方言の持つ魅力を知っておられた井上ひさし氏の作品だと感じました。(氏の書かれた「雨」という舞台作品はそれは素敵な東北弁のセリフで描かれていました)無性に広島弁で何かを書きたくなり、実際「盆にぎわい」という詩を書いてしまったほどです。

見終わった後、父と暮らせば……そのあとにコトバをつなげてみたくなります。

楽しいのか、切ないのか、可笑しいのか、幸せなのか、それのどれもがあてはまるようでいて、ふさわしくはない。うまくコトバがみつかりません。それを見つけるために、三度目があるような気がします。

その時、もし一人暮らしをしていたら、やはり誰かと暮らしてみたくなるのでしょうか?
幸か不幸か、この年になるまで一人暮らしというものをしたことがないので、想像するだけなのですが、やはり一人はさみしいと思うかもしれません。
案外もう人間はいいから、猫にしておこうと思ったりして。
亡くなった祖母は生前毎日お仏壇に丸く盛った白飯をお供えしていました。祖母もまた他の人には見えない誰かと暮らしていたのでしょう。

誰かに観せてもらっている、そんなことを信じてみたくなる映画なのです。
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by soranosanngo | 2012-08-09 17:29 | シネマレビュー | Comments(0)

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許容量を超えた痛みには
モルヒネを!

彼女にとってのモルヒネは
慰めでも愛でも誰かの保護でもない
背中に彫られ増殖しつつあるドラゴンタトゥーと
顔のいたるところに開けられたピアス

新時代の(その時代は既に始動している)ヒロインは
泣き寝入りなんかしないし誰も頼らない
そういう意味では
「ターミネーター」のサラの系統を継ぐヒロインであるかもしれない
やはり彼女もまた
バイクに乗っていた
砂漠ではなく 都会の街で 人がうごめく都会の砂漠で

印象的なシーンは
電子レンジでカップ麺を作るシーンと
変装に使った長いブロンドのカツラを車窓から投げ捨てるシーン
どちらもヒロインの人となりを表しているシーンである
ヒロインは美食にも着飾った女にも興味はないのだ
興味があることはただひとつ
天才ハッカーの食指の動くことだけだろう
(監督デヴィッド・フィンチャーになったつもりで)

ケレドモ ココロノソコデ モトメテイタノハ トモダチ

バイオレンスにあふれているけれど
とても哀しい映画であった
彼女はトモダチがいなくても
電子レンジとパソコンがあれば生きていけるのだ
そして つじつまを合わせていくのだろう
    ◇
この映画での、許容量を超えた痛みとは
おぞましい近親相姦であったり、ユダヤを憎むナチ思想であったり
権力をかさにしたレイプであったりします。

一応Rー15指定になっていますが、
私の感覚では、高校生にもちょっとまだ早いような気がします。

ちなみに「ミレニアム」という推理小説を原作としていて
(大ヒットしたらしいけど未読でした)
既にスウェーデンで作られていた映画のリメイクということです。

登場人物が多いので、ぼ~としてる暇がありませんでした(笑い)
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by soranosanngo | 2012-02-20 11:40 | シネマレビュー | Comments(0)