カテゴリ:紅はこべ散りゆくとき(掌編)( 1 )

紅はこべ 散りゆくとき

自分が何者かを知りたかった。

 
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 今は「イザベルおばあさん愛用のひざ掛け」(これは正式名称なので長い。日常的には、ひざ掛け、と略される)と呼ばれているのだが、もともとどこから来たのだろうと人間たちの間で流行っている自分探しというものをしてみたくなったのだった。

 そこで孫娘のリリカに聞くことにした。
 そもそもウールさんをひざ掛けに編んだのはリリカだったから。
 リリカはたっぷりとのばした金髪をおばあさんに編んでもらって、木蓮のような白いリボンをつけてもらっているところだった。おばあさんの鏡台の引き出しには色とりどりのたくさんのリボンがしまわれていて、それをいつも孫娘に選ばせている。何でもそれは特別なリボンだという。



「あなたがどこから来たかって? そうねえ。
 私が知っていることは、羊さんだったところまでよ」

「羊さん? わたしは羊さんだったのですか?」

「たぶんね。あなたにはウール100%ってタグがついていたもの」

「100%って何?」

「だから混じりけなしってこと。まるごとぜんぶ羊さんの毛よ」

「ふうん」

「まるごとぜんぶ羊さんは、とてもあたたかいのよ」

「羊さんまではわかりました。じゃあ、その前は何だったのでしょうか?」

 リリカは腕組みをして、小首をかしげながら、しばらく考えていた。きっちりと正しく編まれた三つ編みの先に白いリボンの蝶々がゆれる。
 けれど、歯が立たない質問だと思った。

「さっきも言ったけど、私が知っていることはそこまでなの。それに私だってほんとうのところ、自分がどこから来たかなんて、そんな難しいことはわからないわ」

「どこから来たのでしょうね」

 するとイザベルおばあさんがつぶやいた。

「みんな一緒のところから来たんですよ。例えばほら、あすこからかもしれなくてよ」

 イザベルおばあさん指さす方を見たら、一番星が光っていた。

「星を見ているとあたたかい気持ちになるでしょう。とても懐かしいような。ウールさんに包まれていると同じような気持ちになるんですよ」

       ◇

 おばあさんはもともとは天涯孤独だった。
 戦争で親を亡くし、頼る親戚もなく、村から村へと放浪し、家事や子守の対価として、すこしばかりの食べ物を恵んでもらい命をつないだ。
星を友とし、野の草を摘んで食べた。春は紅はこべ、つくし、ふきのとうを食べた。ほろ苦いその味。けれど人生のほうがその数倍も苦いことを知るには、早すぎたといえよう。
 人々の蔑みの眼と時には汚らしい男たちの慰みものになりながらも、負けるもんか、いつかここからはい上がってやると心に誓った。

 十才の時、戦争孤児を引き取って養育していた白い羽教会に引き取られた。

 神父は、自らピアノを弾くような音楽人でもあり、二十人ほど養育されていた子供らも自然に音楽に親しむようになった。ある者はバイオリンを。ある者はチェロを。楽器は信者の寄付であったので、数は揃わなかったけれど、みなで分け合い、賛美歌を謳った。
 神父は孤児らの将来に、きっと音楽が役立つであろうと思い、それで身をたててゆけるように、時には厳しい練習を課したが、その厳しさに不平不満を言う者はいなかった。みな、神父の愛を知っていたからだ。

 最初にマスターした曲はこれだった。

 
【賛美歌 312番 いつくしみ深き友なるイエスは】

   いつくしみ深き 友なるイエスは、

   かわらぬ愛もて 導きたもう。

   世の友われらを 棄て去るときも

   祈りにこたえて、労わりたまわん
 
 
 

 結婚式はもちろん、葬式にも、繰り返しこの曲は演奏された。

 

 数年ののちに、彼らは「白い羽楽団」と呼ばれ、この地方の有名な楽団になった。演奏会が定期的に開かれ、遠方から客が押し寄せるようになり、ちょっとしたスター扱いをされるようなった。
 「ミス、イザベル。私と一緒になってくださいませんか」
 十八才になっていたおばあさんに求婚者が現れた。地元の名士で、週末ごとに大きな真紅の薔薇を抱えて、イザベルのもとを訪れるようになる。ほどなくしてイザベルはそれを受け入れた。
「幼いころから夢みてきた生活を手に入れられるわ。暖炉のある家、オーブンではチキンを焼いて。その合間にはピアノを奏で。何より家族を、私は手に入れるのよ」
 
「イザベル、元気でね」
 紅はこべを摘んで作ったブーケを、楽団の仲間であったピーターがやってきて、イザベルが教会を出ていく朝にそっと手渡した。
 それは教会に咲く、小さな紅はこべ。幼い日、イザベルはピーターと一緒に摘んで花冠を作って戯れたものだった。
「大きくなったら、私、ピーターのお嫁さんになる!」
 そんな約束も交わされていたが、その時のイザベルにはもう遠い幻のような思い出だった。
 「きっと幸せになるわ。なってみせますとも」
イザベルは未来へ希望を膨らませて、次の人生の扉を開けた。

 けれど現実はそう簡単にはいかない。上流社会というところは、新参者、それが若く美しい女に決して居心地のいいところではなかった。おまけに孤児だというゴシップがつけば、暇な古狐たちの恰好の陰口の対象になる。
 唯一の味方であった夫は事業の経営が忙しく、そんなイザベルの心のうちなど思いやる余裕をもたなかった。ねたみ、そねみも加わった侮蔑の眼差しのなかで、イザベルは心がくじけそうになりそうな時、賛美歌をくちずさんで、なんとかしのいだ。

 早春のころに届けられる紅はこべのブーケが、イザベルのなぐさめになった。それが誰からの贈り物であるか、カードなどなくても、イザベルは知っていた。毎年違う色のリボンで結えられた小さな紅はこべの五弁の花。それを胸にイザベルは人生の荒波を乗り切っていく。

    ◇

 数年後イザベルおばあさんは眠るように亡くなり、賛美歌312番に包まれながら葬られた。
 それからもしばらくの間は、カードなしの、紅はこべのブーケが届けられたという。最後に飾られていたリボンの色は、澄み渡った空のような美しい青だった。
 踏まれても踏まれても、負けない野の花。空へ、散っていく紅はこべ。ふたたびの季節には花を咲かせることだろう。

    ◇

 ウールさんは、あたためる人がいなくなるってさみしいことだなと思った。
 
 羊をあたためて、おばあさんをあたためて、また誰かのことをあたためることができたらいいなと思うのだった。

 自分探しの旅路は
 過去にも
 そして未来にも
 リボン(Re-Born)のように、つながっている。
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by soranosanngo | 2012-05-01 10:57 | 紅はこべ散りゆくとき(掌編) | Comments(2)