カテゴリ:ホラー小説( 2 )

リトル マーメイド

 
 寝返りをうった瞬間、冷たいものが手に触れた。
 なんだろう。
 おれは、暗闇の中、目をこらす。
 
 「メイ? メイなのか?」

 ばかな……。

 ベットサイドの窓枠が風でカタカタと鳴った。
窓を閉めているはずなのに、カーテンがひゅううとめくれあがる。ふいに月光がスポットライトのように、さしこむ。その光が照らした先に白い女の顔が浮かび上がった。
今しがた海から帰ってきたようにびっしょりと濡れていた。眼はしっかりと閉じられている。
 心臓が大きく波打った。
どくん。
「メイ、生きていたのか?」
いや、そんなはずはない。

 だって、おれはあの時、城ヶ崎のつり橋の上から、おまえを突き落としたんだから。


 落ちていく瞬間、なぜかおまえはにっと笑った。確かに笑った。
おれはそのまま、つり橋の上でへたり込んでいた。おかしなことに水面からは、なんの音もしなかった。
 
 おまえがおれと別れるって言い出したのは、大室山へゆるやかに登るロープウェイの中だった。
「もう、疲れた。私、やっぱり結婚したいの。あなたがしてくれないなら、他の人とする」
「おれを困らせないでくれよ。愛しているんだ、メイ」
「もう、いいよ。あなたは奥さんとは別れられない」

 それきりメイの手は、動きを止めた。メイはしゃべることができない。おれたちの会話はいつも手話を通して行われていた。

 その夜おれたちは、城ヶ島へ向かった。
 

 メイ、おまえと初めて出会った城ヶ崎海岸。
  
 東京からスキューバダイビングの体験ツアーに来ていたおまえ。最初から堂々として、あんまりうまく潜るものだから、インストラクターのおれはちょっとびっくりした。初心者は重い機材を背負っていても浮力のせいで、なかなか深くは潜れないものなのだ。
 しかし、おまえは、苦もなく、自然にやってみせた。水を得た魚……なぜだかそんな言葉が浮かんだっけ。

「本当に初めて?」
 陸(おか)に上がっておまえに聞いたっけ。無言でうなずくおまえに言い知れぬ懐かしさを感じたのはなぜだったのだろう。髪からしずくが落ちて、おまえの頬に落ちた。笑っているのに、泣いているように感じた。それからほどなくして二人は一緒に住むようになった。

 けれどおれにはどうしても別れられない妻がいた。妻は病院のベットでもう3年も眠ったままなのだ。

 どうしても別れるって言い張るから。こんなに愛しているのに。愛しているのに。愛の顔がくるりと悪魔に変わった瞬間、憎しみが両手にあふれてきて、おれはメイの首をしめていた。そうして無我夢中でおまえをつきおとしたんだった。

 そこでおれの思考が止まった。
 傍らの女の瞳がかっと見開き、その手を伸ばしておれの腕をつかんだからだ。
「うわっ」
 その手には、びっしりと銀色の魚のうろこがあった。驚くほど冷たい。おれは逃れようと必死にもがいた。けれど身体が金縛りにあったように動かない。

「タ、タス、ケ、テ、ク…レ……」
 声にならない声はのどの奥にひっかかり、錆付いた鉄くずのように、役立たずのまま、落ちていった。
    
    ◇  ◇  ◇

 そして目覚めた。
「ああ、夢だったのか」
 全身汗だくだった。メイを突き落としたことも夢であればよかったのに。後悔が激しくうずまく。
 いや、あれは現実だ。けれど、あの、ひんやりとした腕の感触はとうてい夢とは思えないほど、はっきりとこの腕に残っている。

 おれは自分の腕をこすった。そしてざらつくものを感じた。

 まさか。

 部屋の明かりをつけると自分の腕にびっしりと魚のうろこのようなものがはりついていた。ごしごしこすってみる。
 取れない。
 取れないどころか、それは貪欲な悪魔の細胞のように、少しつつ広がって、その陣地を延ばしている。

 ぴちゃん。

 傍らの水槽で飼っている金魚がはねた。
 よく見ると、それはメイそっくりの顔をした金魚で、眼が合うと、にっと笑ってこう言った。

「バイバイ、王子様」
 
 初めて聞いた君の声。
 クリスタルの鐘を鳴らしたような響きだった。メイ、美しい声を持っていたんだね。

 朝が来て、飼っていた金魚が、お腹を見せて水面に浮かび上がり、死んでいた。

                                  おわり
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by soranosanngo | 2013-09-24 13:15 | ホラー小説 | Comments(0)

かごめ かごめ

こんな風にブランコに乗るなんて何年ぶりだろう。大人と呼ばれるようになってからは、たぶん初めてだろう。

 キイ、キイ、キイ

 やる気なくこげば、ブランコだってやる気は出ない。子供のころはブランコをもっと激しくこいで、「えいっ」とはずみをつけて飛び降りるのが、たまらなく好きだった。
 もちろん、少しこいだだけで飛び降りるのは、それほど、楽しくない。こんなに高くこいで大丈夫か、と不安になるくらい高くこいだところで手を離すのだ。

 ふわり。

 空中で静止したような感覚にとらわれる。重力から解き放たれる一瞬。今でもスローモーションのようにその感覚がよみがえってくるようだ。
 けれども、その直後すぐに落下するので、気を抜くと怪我をする。小学生の生活は平凡で退屈な繰り返し。それにほんのちょっぴり色をつけるスリリングな遊びだった。
 昼ごろまで降っていた雨が小さな水たまりとなってブランコの下にも、たまっていた。私はそれに足をとられないよう、慎重にブランコをこぎ続けた。


 この水たまりはいつしか空中に蒸発して、影も形もなくなるんだろう。例えば愛だと思っていても、そんなもの、まぼろしだったというように。

 半分くらいは静かに地面に吸い込まれていくのだろうか。その先は? 暗い世界に同化するのだろうか。暗い世界に愛が同化してしまったら、それはもう愛じゃなく、ただの出口のない闇なんじゃないか。
 そんなことを考えるともなく考えていた。
 平日の夕暮れにこんな風にぼんやりとブランコに乗る大人ってどう思われるのかな。不似合には違いない。
 あそこで遊んでいる小学低学年であろう子どもたちに、もし話しかけたら、不審者扱いされかねないだろう。

 あれはなんだっけ。
 かもめ、かもめ? 
 いや違う。「かごめ、かごめ」だ。

 手をつないで円を作り、その中に鬼になった子が入ってしゃがむ。自分の手で目隠しし、歌が終わるのをじっと待つ。そんななつかしい遊び。



 かごめかごめ
 かごのなかのとりは
 いついつでやる
 よあけのばんに
 つるとかめがすべった

 うしろのしょうめんだーあれ

 そして円の動きが止まる。
「××ちゃん!」
 鬼は友達の名前を呼ぶ。ちょうど後ろにきた子が××ちゃんであれば、鬼は交代。

 しばらく子どもが繰り返すその遊びの風景をながめていた。するとあることに気づく。
 全部で7人の子どもがいるのに、ただ一人だけ、名前を呼ばれない。その子が後ろにくることはなかった。
 なぜなのだろう。もしかして鬼になりたくなくて、微妙にズルをしているのかもしれない。
 けれど、永遠に名前を呼ばれないというのも、それはそれでつまらないものではないだろうか。ある種、この遊びでは鬼が主役であるのだから。



 結局私は主役にはなれなかった。
 あの人は別の子を選んだ。アパート代、ケータイ代から、歯医者の診察代。
 あの人に乞われるまま、その手のひらに、お札を置いた私。

「悪いね」
「給料日に返すから」

 それが実行されることは一度としてなかったけれど、あの人に求められていると思えば、それが愛だと思ってしまった。
 いつかあの人が私のことを
「なっちゃん!」と呼んで主役に選んでくれるのを待っていたのに。
 待っていたのに。
 待っていたのに。
 
 もう待てない。

 最後にあの人に渡した5千円札は、だれかとのデート代に消えたんでしょう。


 公園に立っているスピーカーから、懐かしいメロディが流れ始める。このメロディは、たしか家路、だったっけ。それを合図に小学生たちが帰り始める。

「バイバイ」
「また明日ね」

 三々五々、入り口から出ていく。さあ、私も帰ろうか? でも、どこに帰ったらいいのだろう? 

 夕闇が一気に公園に流れ込む。
 隣のブランコが揺れる気配。

 お下げ髪の女の子がブランコに乗っていた。ああ、さっき、「かごめ かごめ」で遊んでいた子だ。しかも一度も名前を呼ばれなかった子じゃないか。
 女の子は私の視線に気づき、にっと白い歯を見せて笑った。

「おねえちゃん、帰らないの? 迷子になっちゃったの?」
 
 どぎまぎした。
 そう、私は迷子になってしまったのかもしれない。もうあのアパートには帰れない。だって、だって……。
 私は手のひらについた赤い血を見つめた。もうだいぶ乾いて赤黒く変色している。

 あはは、スカート飛び散った血がなんだか水玉模様みたいだ。
 あの人の背中に私が刺した包丁についた血も、今頃こんな風に乾いているだろうか。
 
 女の子はそれからもうれつな勢いで、ブランコをこぎ始める。
「ちょっ、ちょっと、あぶないよ……」

 あっという間にブランコから手を放すと、水たまりに落ちた。
 落ちたはずの女の子はそのまま水たまりに吸い込まれていった。最後に私のほうを見て

「なっちゃん!」

 と私の名前を呼んだ。
 ゆっくりと沈み始め、最後は右手だけが残り小さくゆれた。手をふっているみたいだ。いや、それとも、おいで、おいで、と呼んでいるのだろうか。



 私はおそるおそるその水たまりを覗き込む。

 女の子を飲み込んだ水たまりは小さなさざ波を立てていた。血を洗おうと思い立ち、私は水たまりに手をひたす。
 するとさきほどの小さな手が水の中から現れて、へびが鎌首を持ち上げるような恰好になった。
 手首をつかまれる。
 一分の隙もないほどの、
 すごい力。
 あらがうこともできず、私は水たまりの中に引きこまれていった。
 
 

「うしろのしょうめん、だーあれ」

 どこかでだれかの歌う声がする。そうか、ここは鬼の棲む場所なんだね。私も今日からここに棲もうっと。

      ◇

 翌日早朝、公園の水たまりで女の溺死体が発見された。
 警察はその女の内縁の男がアパートで殺されていた事件との関連性を調べているという。
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by soranosanngo | 2013-09-24 13:12 | ホラー小説 | Comments(2)