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無名の画家たち(1)


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 目の前の若い男は、奇妙な色合わせの上着を着ていた。よくいえば世界にふたつとないオリジナリティを感じさせる色合い。悪くいえば世界の全ての絵の具をぶちまけたような、投げやりな色合い。

 もしこのまま食事に行くとしたら、一杯100円のシャンパンを出す飲み屋でさえ入るのを断られそうだ。私がもし店主ならそうするにちがいない。

 もともとは真っ白だった上着に、絵の具がとびちったのか。どうやら、その男は画家らしい

 絵筆を握るその指にも油絵の具が、まるで生まれたときからあるしるしのように、ついていた。天に決められた生業(なりわい)を持つ者は、ごしごし洗っても落ちない何かをもっているものだ。つめの間はもっとひどい。全ての色を混ぜたら、黒になるっていうのは本当かもしれない。
 
 私は男からそっと目線をはずした。

 私が座っている肘掛け椅子の横に、小学校の教室にある教卓のように味気の無いテーブルがひとつ。その上に、黒に近い赤ブドウがひと房、むきだしで置かれている。そして何かのお酒らしきガラスびん。

 観音開きの窓は表にむかって開けはなれている。、街並みが見下ろせた。どうやらこのアトリエはアパートの2階にあるらしい。
 
 石畳の階段でたむろしていた鳩の一匹がとびたち、何を思ったのか、目の前の窓枠に止まった。「クルックウ」まん丸の目に黒縁の眼鏡をかけていた。

 唐辛子色のゼラニウムが、向かいのアパートの窓で風に鼻歌をうたってきかせている。


 オープンテラスがある。小さな舞台が中央にしつらえてあり、フラメンコギターをかきならしながら、背の高いモデルのような男が歌っていた。よく通る声だった。

 中央には黒髪をシニヨンに結ったジプシー女が踊る。

 胸が大きく開いたドレス。ウエストのくびれを強調したようなぴったりとしたマーメイドライン。白地に黒のドット柄で、ひざのあたりからフリルが広がっていた。フリルの中に鮮やかな赤がひしめく。ステップを踏むたび、それらがひるがえる。まるで八重咲きの薔薇の花が咲いたようだ。

 カスタネットの音がその情熱をふちどる。

 ダン!ダン!女は不実な愛人を責めるかのように挑発的にステップを踏む。いや、睨みつけるようなその眼は、夢ばかり追いかけている恋人にカツでもいれているのだろうか。

 いずれにしてもきっと愛の物語を踊っているのだろうと思った。


 音と踊りは、フォルテとピアノを繰り返しながら、フィナーレへ。観客の拍手と喝采。

「オーレ! ビエン!」
 思わず私も椅子からたちあがり、拍手していた。

「座って!」男のきびしい声がひびく。私はこの若い画家のモデルをしているようだ。

 それから小一時間たっただろうか。「完成した!」と男が言った。鋼の意志を思わせる眉の下の黒いぎょろり眼が一瞬なごんだ。

「ありがとう。いい絵ができたよ」男はキャンバスを私に見せてよこした。そこにいたのは、確かに私だった。けれど、よその国のもうひとりの自分をみているような気がした。

「すばらしいわ。あなたはきっと有名な絵描きなのね」

「とんでもない。ぼくみたいな絵描きなど、アンダルシアに、ごろごろいるさ。けれど、いつか世界中の人がぼくの絵を見てくれる、そんな日を願って、毎日描いているんだ。明日描く絵が最高傑作だって、信じてね。そうだ、これで乾杯しよう。安物だけど、案外おいしいシェリー酒なんだ」
 そう言って男はテーブルのお酒のびんを指差した。


「ところで、ハポネッサ(おじょうさん)、君の名前は?」「名前……?」

 私は自分の名前が思い出せなかった。一体どこへ忘れてきたのだろう。
「ごめんなさい。名前を思い出せないの」
 そう答えると、男は、ハハハ、と声をたて、愉快そうに笑った。びろうどのようなテノールだった。
「それじゃあ、ぼくの名前を教えておくよ。ハポン(日本)に帰ったら思い出しておくれ。ぼくの名前は、パブロ・ディエーゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・フアン・ネポムセーノ・マリア・デ・ロス・レメディオス・シブリアーノ・センティシマ・トリニダード・ルイス・イ・ピカソというんだ」

 ピカソ? あの有名なピカソ? 私はとてつもなく長い名前を、忘れないように必死になって繰り返した。
「パブロ、ディエーゴ、ホセ、フランシスコ……」いくど繰り返しただろうか。となえているうちそれはエンドレスに続く呪文ように私の頭にこびりついた。

<つづく>
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by soranosanngo | 2011-07-30 19:18 | 無名の画家たち(ファンタジー) | Comments(0)

無名の画家たち(2)

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 そうして唐突に夢が終った。枕もとのケイタイが鳴ったからだ。ああ、残念。シェリー酒を飲み損ねた!それはボーイフレンドからのメールだった。
【今日ピカソ展、行かん? バイト先の店長から割引券ゲット!】なんだかピカソついてるなあ。

 翔太は美大を卒業してから7年、コンビニでバイトしながら、絵をあきらめずにいる。油絵にうつつをぬかし続けている男だ。メジャーな公募展に通ることを夢見ているが、一度たりとも賞を取ったことなどない。そんな翔太を応援してはいるものの、この先の不安はぬぐいされない。もう、私も来年三十歳。好きという気持ちは変わらないけれど、将来のことを考えると胸の中がもやもやする。別れようか。いや、別れてしまったらきっと後悔するのではないか。

 カタン、カタン。

 その考えは天秤秤のようにせわしなく動く。

 秤を宙ぶらりんにしたまま、とりあえず翔太と待ち合わせをして、上野の森美術館に出かけた。ごったがえした人ごみのなか、ひとつの絵にくぎづけになった。



 タイトルには、こうあった。
「名前を忘れた女」
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 ふふふ。とびきりの美女じゃない! 肘掛け椅子には妙齢のハポネッサ。横のテーブルには黒に近い赤葡萄と何かのお酒のビン。いえ、あれはシェリー酒。

「ねえ、翔太、明日描く絵が最高傑作って言った人、知ってる?」
「ピカソだろ」
「ピカソの本名は?」
「ええっと、確かものすごく長いんだよね、なんだっけ」
「パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・フアン・ネポムセーノ・マリア・デ・ロス・レメディオス・シブリアーノ・センティシマ・トリニダード・ルイス・イ・ピカソよ」
「へええ。よく知ってるじゃん。ピカソ好きだったっけ?」
「好きよ。だって、ピカソのモデルだったから。翔太のモデルも一生やってあげてもいいよ。ね、これからうちにおいでよ。とびきりのシェリー酒で乾杯しよう!」
「はあ?」



 翔太はアンダルシアの鳩みたいに目を丸くさせ、ずれた眼鏡をかけなおした。
 私は昨日の夢を生涯忘れないだろう。もちろん、まるでジプシーの呪文のように長ったらしい、あのキュートな名前も。

 グラーシアス!

 私は翔太の手を取り、人波に逆らうようにもときた道を引き返した。

「ちょ、ちょっと、なんだよう」
 
 かまうもんか。ダン!ダン!横浜元町のチャーミングセールで買ったミハマの中ヒールで、私はフラメンコの踊り子のように、勇敢に進むのだ。

 「お客さん、そっちは入り口……」
受付の声が追いかけてくる。
かまうもんか!

 おわり
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by soranosanngo | 2011-07-30 19:15 | 無名の画家たち(ファンタジー) | Comments(0)

かりものや(Ⅰ)

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 Ⅰ  

 夏の夕べ。

 きのうまでは、しめりけを帯びていた熱い風がありましたが、今日はどことはなしに、心地よいのは、なぜでしょう。そろそろ夏も終いの夕風は、ぱらぱらと涼しい粒子を不均等におりまぜているからかもしれません。一度か二度気温が下がるたび、うつくしのはらの虫たちは 秋が近づいてきたのを知るのです。あるものは、その触覚で。また あるものは 背中の羽で…。それが、吉報なのか、否かは、それぞれで、ちがうものではありましたが。

 ここは蝶の道。

 目には見えませんが、空中にも道が存在するのです。そこには、しごとを終えて帰路に着く蝶たちが ふわりふわりと舞っています。
 その中にいっぴきだけ玉虫の女がそれらにまぎれて飛んでいきました。まばたきもせす、何かを思いつめたように、ただ、前だけを向いて。

 西へ、西へ。

 『うつくしのはら』の西の果てにあるという 竹林に向かっているようです。住所など もちろんありませんでしたから、頼りになるのは自分の内なるコンパスしかありません。もうこうして三日も飛び続けているのでした。
「ああ、早くしないと、秋が来てしまう。そのまえに、なんとかしなくては」
 咲き始めたばかりのエリカの丘にさしかかりました。うすい紅色のその小さな花から、かぐわしい匂いがただよっています。女はこの匂いが大好きでした。
「しばらく、休みましょう」
 花々を借りて、疲れた身体をそろりと横たえました。すると、ミツバチたちが「はつものだ、はつものだ」と口々に言いながら、せっせとその蜜を集めているのが見えました。
 女はその蜜をわけてもらおうと思ったのですが、なんだか気が引けて声をかけられませんでした。
「のんびりしちゃいられないわ」
 また、飛び立ちました。
 エリカの丘を越えると、やっと竹林が見えてきました。
「あすこに違いない」
 たくさんの竹がならんだその中に、一本だけひときわ立派で、高く伸びた竹があります。あまりに高いので、上のほうは、雲のなかに隠れ、どうなっているのか定かではありませんでした。天まで のびているようだわ、と女は思いました。
 その竹を下からのぼっていきますと、中ほどの節にきたところに 小さな穴があいています。やっといっぴきが通れるほどの入り口で、いく本ものススキののれんが、さかさまにつるされていました。
 かんばんには こうあります。
 
 《かりものや》と。

 <改ページ>玉虫の女は声をかけました。
「もし、かりものやさん」
 しばらくすると 中から しわがれ声が答えました。
「おんや、めずらしい、客がきた。お入りなさいな」
 女はのれんをくぐり、おずおずと中へ入っていきました。
「おじゃまします」
 竹の一節を使って作られた店。住居としても使われているのでしょう。栗の実のテーブルやほおずきのソファなどがしつらえてあります。おもいのほか 天井が高く、そのため広く感じられました。天井から商品がぶらさげられています。玉虫の羽です。ここは《かりものや》玉虫の羽を借りることができるのです。あるじを失ってもそれら羽は美しいままなのです。
 
 窓から指す陽光、もうだいぶ西にかたむいてはおりましたが、それがスポットライトのように照らし、ぎらりぎらりとあやしく羽は光っておりました。

「かりものやへ、ようこそおいで下さいました」
 そう言うと、かりものやの女主人はうやうやしく、おじぎをしました。どこか芝居じみた感じさえうかがえます。
 かりものやは、女と同じ玉虫のようでありましたが、その羽はあたかも金属がさびぬれてしまったような、しょぼくれた風合いでした。
「と、とつぜんに、ごめんなさい。で、でも《かりものや》のおうわさを聞いたら、どうしても 行ってみたくなったんです。どうぞ私にこの中で一番美しい羽を貸していただけませんか。お、おねがいしますっ」
「あらあら、そんなにいそがなくても、わたしゃ逃げはしないよ。息が切れてるじゃないか。さあ、そこへ座って」
 かりものやは ほおずきの椅子を勧めました。そのクッションはほどよくくたくたになっていて、柔らかく、玉虫の女のからだをすっぽりと受け止めました。
「ああ、そうだ。いい飲みものがほんの一刻ほど前、手に入ったところさ。これでも、お飲み」
 そう言うと、かりものやは、どんぐりをくりぬいて作ったカップを差し出しました。
「エリカの蜜だよ。はつものさ。はつものを飲んだら、寿命が延びるんだよ。さあ、お飲み。まあ、わたしみたいな長生きしすぎた婆が飲んで寿命が延びたところで、ありがたくもなんともないがね。今、私がほんとうに生きているとするならば、の話しさ。いや、これはほんのひとりごと。ほほ、ほ」
 玉虫の女は、そのカップを飲んでみました。えもいわれぬいい匂いが口中に広がりました。急いで飛んできたので、早鐘のように鳴っていた心臓もだいぶ落ち着いてきたようです。
さきほど、エリカの丘でミツバチたちが集めていたものは、これだったのかと ふにおちました。ささやなか偶然ですが、これを飲むことは最初から決められていた、そんなで気がしてくるのでした。
「で、お客さん、お名前は? 一応聞くきまりなんでね」
「ああ。失礼しました。私ハイデと申します」
「いい名だね。美しい名だ。私だってかつては美しい名を持っていたんだが。はて、なんといったっけねえ。かりものやと名乗って久しいんで、昔の名はとんと忘れちまった。しょせん名前なんて、そんなものかもしれないね。あれば便利というだけのものさ。ちょっと失礼。ふうう」
 かりものやはアシの葉の煙草をぷかりとふかしました。紫煙がたちまち部屋中に満ちていきました。
「ごほごほっ」
 ハイデは思わずむせてしまいました。
「おや、煙草はやらないんだね、ハイデさんは」
 そう言うと、かりものやは、水を張った、つりがねそうの花バケツの中に煙草を投げ入れました。じゅっと小気味良い音がして、煙草の火種は消えました。
「火の用心、火の用心さね」
 紫煙が窓のほうへ吸い寄せられるように、たなびいていきます。
<改ページ>
「さてと、まず、訳をきこうかね。いや、私も商売なんで、むやみに大切な商品を貸すことはできないんだよ」
「ごもっともですわ。実は私、少し前、羽に大きな傷を作ってしまったのです」
 ハイデはそういうとおもむろに立ち上がり、くるりと後ろを向きました。つやつやと光る碧(みどり)の羽に赤と黒の線が、シンメトリーに にじんでいます。
 完全な左右対称というのは、とても珍しいものです。かりものやは、まれにみる上等な羽だと思いました。
 老眼が進んで、はっきりとは見えないけれど、その羽には けさがけしたように、斜めに長い傷があるようです。
 これは惜しい、と心の中で思わすつぶやいてしまいました。
「ふうん、これかい、そんなにひどい傷には思えないけれど」
「いいえ、なぐさめていただかなくても、けっこうです。この傷のおかげで、かなり台無しになっていることはわかってます。うっかりと、いばらの林でやってしまったんです。自分の責任ですから。しようのないことです」
 きっぱり言うと、ハイデは悲しそうに目をふせました。今にも大粒の涙がこぼれそうです。
「あの日、なぜいばらの道をわざわざ通ったのか、自分でもわかりません。魔がさすということがあるとすれば、きっとそうなのでしょう。いばらの道を無事通り抜けたら、永遠(とわ)の愛が手に入るというお話をご存知ですか? 迷信とは分かっていても、なんだか試してみたくなったんです」
「ああ、聞いたことはありますよ。けど、あんなものは、しょせん よまいごと。永遠(とわ)の愛なんて はなから ありゃしません。まさか、信じる虫がおろうとはね。ほほ、ほ。いや、ハイデさんはお若いし、無理もないけれど」
「どうぞ、あさはかなやつだと、お笑いくだすって結構です。けれど、かりものやのお話をお聞きして、わらにもすがる思いでやってきたのです。傷のない美しい羽をお借りできたらと思って」
「急ぐのかい」
「ええ、もうすぐ秋になりますもの。こおろぎが楽器の手入れを始めたそうです」
 どこかで、ひぐらしが鳴き始めました。いつのまにやら、うすくらやみが しのびよっていました。
「そういや最近、夜になると、ギーコギーコと聞こえてくるねえ。あれは弦会わせだろう。キイがあってないから、耳障りったらないよ」
「おっしゃるとおり。まだもうしばらくは練習が必要でしょう。オーケストラがそろうようになったら、うつくしのはらの年一回の舞踏会が開かれます。去年のパートナーとまた踊りたいと思っていますが、こんな傷ついた羽の私とは踊ってくれないかもしれません。とのがたは、美しい羽をより好むものではありませんか?」
 玉虫は年一回、気に入った相手とワルツを踊ります。それが結婚するということなのです。もしワルツを踊る相手がみつからなければ、その年は結婚できません。
「そうだねえ。玉虫の男は特にそんな傾向があるかもしれないね。なまじ自分も美しい羽を持っているばっかりに。やっかいな話しさ」
そう言ってかりものやは、ため息をつきました。そして、羽を広げて天井ちかくまでとび、ひとつの羽をかかえておりて来ました。
「この羽は、昔、お玉小町と呼ばれていた女の羽さ。きれいだろう」
ハイデは,、思わず息をのみました。まるで翠(みどり)色の宝石のようでした。そのなかに 無数の虹が広がっているようです。金色になり、赤になり、紫に……。
そこからは、いくらでも色が生まれてくるようでした。
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by soranosanngo | 2011-07-30 17:44 | かりものや(ファンタジー小説) | Comments(0)

かりものや(Ⅱ)

  
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 かりものやは、遠い目をしながら、女に昔話を語り出しました。
  ◇

 お玉ちゃんと呼ばれていた お玉小町には、仲良しの女友達がいたそうだ。幼なじみの二匹はナツメの実を揺らして、よく遊んだものだった。
 そのナツメの木には、鋼のようなりりしい羽を持った玉虫の男が住んでいたんだよ。玉虫の女は、みんなその人とワルツを踊りたいと願っていたさ。
 もちろんその二匹もね。
 けれど勝負は最初からついてるようなもの。
 お玉小町と呼ばれるほどの器量よしと十人並みの平凡な玉虫、どちらが選ばれるかは自明の利さね。
 お玉ちゃんとその男は、舞踏会に一緒にワルツを踊ろうと約束までしていたということさ。
 ある日、女友達はお玉ちゃんにこう持ちかけた。
「ねえ、私の羽と一度でいいから、交換しておくれよ。友達じゃないか。きっと明日の舞踏会までには、返すからさ」
 お玉ちゃんは心根の優しい子だった。快く羽を取り替えてくれた。
 
 羽を取り替えるのはどうやるのかって?
 ああ、たいしてむずかしいことはないよ。ほおずきの中身を、羽の付け根にぬっておく。
あれは、はがし薬だからね。けれど薬ってのは毒でもあるんだ。いつまでも塗っていちゃいけない。そのさじ加減さえ間違えなかったら、うまくいく。
 羽がぐらぐらしてきたら、一気にはがすのさ。なあに、痛いことなんてない。思い切りが肝心だよ。
 それから、水で、ほおずきはぬぐっておく。そのあとが乾かないうちに、交換した羽をお互いに押し付けあうのさ。わかったかい。

 ええっとどこまで話したかね。いやになっちまう。最近、物忘れが進んだようだよ。
 
 ああ、そうだった。
 羽を取り替えてもらった女友達はすっかり嬉しくなって、返すのが惜しくなったんだろう。そのまま、次の日の舞踏会に出て、ナツメの木の男とワルツを踊ってしまったそうだよ。
 男が、<虫間違い>に気づいたのは、ワルツを踊ったあとだったそうな。後悔したそうだが、もう遅い。結婚するしかなかったのさ。愛なんか、なくったって、なんとか、結婚生活なんてしていけるものだからね。
 お玉ちゃんはどうしたかって? 聞きたいかい。

 ーひぐらしの声が一段と強く聞こえてきた。
  たったひと夏で老い果ててしまう その命を惜しむかのような哀しい声だったー

 <改ページ>お玉ちゃんは悲嘆にくれた。
 無理もないよ。友情にも、愛情にも、裏切られたんだからね。そのまま、地獄谷に身を投げたのさ。
「ええっ地獄谷ですって? あの アリジゴクが住むという、怖ろしいところですわね」
 ハイデはぶるっと身震いをした。
 
 絶望とはそういうものなんだろうね。
 地獄に落ちるべきは、むしろ、その女友達のほうなのに。
 かつての恋人、ナツメの木の男はそれを聞くと、お玉ちゃんのあとを追って、おんなしように、地獄谷に、身を投げたそうだよ。
 あとには、二枚の羽だけが、砂に打ち上げられたヨットの帆のように、残されてあったということさ。
 女友達は、取り返しのつかないことをやってしまったと真っ青になって地獄谷へ急いだ。そして おんなしように そこへ身を投げたのさ。
 けれど、丁度そこへ、クワガタが通りかかり、助けられてしまったそうだよ。
 地獄谷に残された二枚の羽も、クワガタに拾い上げてもらい、泣きながら、家に持って帰ったのさ。
 家に帰ると、自分の、元はお玉ちゃんの羽に、ほおずきの種をつけ、羽を取ったんだ。もとはお玉ちゃんの羽さ。そうしてほんとうの自分の羽をつけたのさ。
 そのまま、長いこと、泣き続けていたそうさ。泣き続けたあまり、その羽はさびぬれたように変色し、しょぼくれてしまったらしいよ。
 女友達が、弔い虫になったのは それからさ。死んでもない、さりとてほんとうに生きているとも違う、弔いという時間の中でのみ存在する弔い虫にね。

 それを聞いて、玉虫の女は、はっとしました。
「もしかして……」
 その女友達とは、かりものやではないだろうかと思ったのです。さびぬれたように変色し、しょぼくれた羽とは、まさに、目の前にいるかりものやの羽そのものではないだろうか。
 けれど、それは、聞いてはいけないことのような気がして、聞くのは止めました。
 たとえ、それがわかったところで、どうにもならないことでしたから。ああ、魔がさすということが、そんなところにもあったんだと哀しく思いました。

「しょせん、自分が今持っていると思っているもの、それらは全てかりもの。全てのものは、かりものに過ぎないのかもしれないねえ。ハイデさんにこんなこというのも、客商売なのに、変と思われるかもしれないが、傷のある羽は案外いいものかもしれないよ」
「えっそうでしょうか」
「ああ、算法っていう学問があるのだけど、答えが見つからないときに、補助線っていうのを書くらしいよ。そしたら、答えがひらめくこともあるそうさ。ハイデさんの傷も、その補助線とやらと考えたらどうだろう」

 答えををみつけるための補助線……。生きていく道に ほんとうの答えがあるとしたら やはりさがしてみたい、そう女は思いました。
 しょせん、かりものは、かりものです。ほんものにはなれません。
 永遠(とわ)の愛を手に入れる、その答えがあるのかどうかはわかりませんが、もし存在するとしたら、自分のこの傷が教えてくれるのかもしれません。

 つきものが落ちたように、羽の傷のことは、もうどうでもよくなりました。
「わかりました。羽を借りるのは、よしにしますわ。いろいろとありがとうございました」
「いいってことさ。夜も更けてきた。良かったら、泊まっておいき」
 いつのまにか、迷いほたるが一匹、窓から入り込み、店のなかをぼんやり照らしておりました。
 ほおずきのクッションで一晩寝かせてもらったハイデは、翌日、日の出と共に、帰っていきました。
「あらあら?」
 見送る かりものやには、昨日まであったはずのハイデの羽の傷が見えなかったのです。
 老眼が進んだのでしょうか。いいえ、そうではありません。ほおずきのエッセンスが一晩中ハイデの羽にしみこみ、その傷をきれいに取ってくれたのでした。

 やはり毒は薬……。

 ハイデにそのことを言おうか、とも思いましたが、いたずら心がふいに沸き、そのまま言わずに別れました。
 そのことを知ったときのハイデの顔を思い浮かべると、ひとりでに笑みがこぼれてきます。
「でも、また、この《かりものや》を継いでくれる虫を逃しちまった。かりものをした虫が代々継いでいく《かりものや》。もう店仕舞いにしてもいいかねえ、お玉ちゃん。」
 かりものやの羽は老い果て、背中の合わせ目も、もう定かではないほど、ぼんやりとしてきたのです。
 半分は黄泉の国でもあるこの店に 長く 居過ぎたようです。
 昨夕、鳴いていた ひぐらしが、店の下に 冷たくなって 横たわっていました。

 ◇

 舞踏会が開かれる頃、ハイデは風のうわさを聞きました。

《うつくしのはら》の西の果てにある竹林に、竹の花が咲いたと。百年に一度咲くと言われている珍しい花。

 花のあと、竹はすっかり枯れて 滅びて なくなるということです。
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by soranosanngo | 2011-07-30 17:42 | かりものや(ファンタジー小説) | Comments(0)

ゆらり、ゆうらり今宵はどちらへまいりましょうか?
行き先は珊瑚の櫂におまかせくださいませ。
そらの珊瑚の小説・短歌・詩を随時掲載予定です

☆初めての詩集を上梓しました。
 【うず】―流体の軌跡―
土曜美術社出版販売・現代詩の新鋭シリーズ30
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             (2013.10.25発行)
             アマゾン、全国書店にて発売中でございます!

☆カテゴリーの作品名をクリックすると
作品をお読みいただけます。

☆PFのイラストは幻想素材サイトFirst Moon様よりお借りしました。
 http://www.first-moon.com/

☆現代詩フォーラムに詩を投稿していますhttp://po-m.com/forum/myframe.php?hid=9114
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☆うちの子は(犬)動物愛護センターからもらってきました。
 とってもいい子です。
 一匹でも多くの子がひきとられ、殺処分をまぬがれますように。
 犬や猫を飼ってみようと思われる方、是非覗いてみてくださいね。
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by soranosanngo | 2011-07-30 15:14 | Comments(8)