<   2014年 02月 ( 3 )   > この月の画像一覧

紫の華

左腕に
浮き出た内出血の痣
八年前に受けた
ハーセプチンの点滴は
あたしの血管までもぼろぼろにして
以来
採血は
看護婦泣かせの儀式となった
その痕を
老いた母は
かわいそうにと
いくども撫でた

  おかあさん、あたし がんばったでしょう

母の呉れた
憐れみは
小春日和みたいに
心地よくて
醜く咲いたこの華を
がむしゃらに咲いたこの華を
一週間もすれば散るこの華を
うっかり
愛してしまいそうになる


※「詩サークル 群青」2014年2月のお題「紫」への提出作品

[PR]
by soranosanngo | 2014-02-28 10:04 | | Comments(0)

牧歌

 ましろな朝。静かな朝。まだ誰も踏んでいない雪はどこまでも、白い。

「雪とけて 村いっぱいの 子どもかな」小林一茶

 雪玉を投げ合う無邪気な子どもたちをみつめるまなざしのなんて優しいこと。
 想像するに、冬の間なんとか命をつないできた決して豊かではない山村において子どもは希望だったのだと思う。宝だったのだと思う。春だったのだと思う。

 優しい、と、易しい、は とてもよく似ている。
 優しさは日本人の血の中に脈々と受け継がれてきたものだし、易しい言葉というものは、一見軽い羽のように見えるが、実は砂金のように心の奥底に沈殿していく。現代詩という得体のなさに時に塞がれたようになっていたわたしの心が、今日なぜかこの一句の易しい言葉たどりついた。

 現代において「牧歌」は失われてしまったのだろうか。
 いいや、わたしはそうは思わない。もちろん本来の意味での牧歌は日本では失われてしまったかもしれない、
 家から出ずとも世界の果てまでネットワークでつながった現代においても、実は人の心はそう変わらないのではないか。

 ほら、あともう少ししたら子どもたちが公園に集まってくるはす。わらわらと。子どもたちによって踏まれた雪はやがて茶色の泥水になって、土に染み込み、そのゆくえは知りえないものだけど、たぶん私たちは直感で既に知っている。春へつながってゆくことを。
 きっと。
 春はもうそこまで来ているような気がする。とても寒い朝なのにねえ、雀よ。
d0253237_1022175.jpg

[PR]
by soranosanngo | 2014-02-08 10:16 | 散文詩 | Comments(2)

ミセス M

昨晩
ひとつの恋を失った
ミセス ミスティは
男の不実を責めるでもなく
ピアノの蓋を閉めた

ミとファ
シとドの間に
黒鍵がない理由は
おそらく
その間に
幻想があるからだと
彼女は言う

泣いてなんかいないわ

翌朝
彼女の霧で満たされた旧市街の
あちらこちらに
注意深くこしらえた
さりげなさをまとって
甘い黒鍵が落ちていたが
  
 夫婦の幻想、春の幻想、指輪の幻想、若さの幻想……

言い換えれば
おとぎばなしのたぐい
旅人が出立する頃には
ゆるみ
それらはみな
野良猫が食べてしまっていたので
現実という石畳だけが
おひさまに照らされていた

とてもすがすがしく


まったくこの街の猫ときたら そりゃあもうまるまると太っているのよ



※詩人サークル「群青」2014年1月のお題「霧」への提出作品
d0253237_19533893.jpg

[PR]
by soranosanngo | 2014-02-05 20:12 | | Comments(5)