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小鳥の歌

まばたきは
シャッターだから
夜になると
わたしのなかは写真だらけになる

そうやって
撮り続けた
日常のいくつものの場面を
夜の川に流していく
笹舟のゆくえを追えないように
それらがたどりつく岸辺もまた
わたしは知らない


わたしのなかはからっぽになる
だから小鳥の歌が
ちょうどよく響く

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by soranosanngo | 2014-07-23 12:35 | | Comments(19)

「降霊会の夜」浅田次郎

 私はオカルティズム信奉者ではないし、降霊、たとえば日本でいうならイタコなど、正直にいえばどこかうんさん臭さを感じてしまう。
 実際経験したことがないからといって(霊魂が存在するのかしないのか、それは永遠の謎であるが)全否定してしまうことは簡単である。
 簡単であるけれど、それでは面白くはない。
 樹々が水辺のなかで揺れるさかしまの世界。なんとも魅力的であるのだから。

 この小説の冒頭はこんなうたで始まる。

 『来しかたを さながら夢になしつれば 覚むるうつつの なきぞ悲しき』 権中納言資実

 夢というのは不思議だ。私の夢には故人が出てくるときがあるのだが、会話もするし、リアルなのだ。
あるときなど「死んだと思っていたけど、死んでなかったんだね」と言ったら、その人は何も言わず苦笑していたように思う。

 この小説は主人公に会いたいと想っている人を降霊術によって会わせるのだが、主人公が会いたいと思っている人とそれは必ずしも一致しないとことがミソである。
 ……くだんの私の夢に出てくる人は、この小説を借りるならば、私が会いたいと思っている人ではなく、あちらの方が会いたいと思っているのだろうか……もちろんその両方の思いが合致したとも考えられる。

 結果を言ってしまうと、主人公が会いたいと思っている人には、最後まで会えなかった。
 
 浅田次郎の文体はとても読みやすく、私がとても好きなのは江戸っ子的なしゃべり部分。
 するすると読めるけれど、心にひとすくいの何かが残る。

 『まちがいでは済まされぬ取り返しようのない道筋を、歩いてきてしまったような気がした』
 この文は最後の方に記されていて、印象深い。
 今、このときも、私は取り返しのできない道筋を歩いている。人生ってそういうものなんだろう。

 2014.7.読了

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by soranosanngo | 2014-07-20 16:14 | 読書ノート | Comments(2)

古井戸

ひと押し
ふた押し
み押しするたびに
深いところから
吸い上げられてくる
手応えがあって
ほとばしる
夏でも冷たい水、水、水

水という命を手に入れるために
用意された
一連の単純な作業は
再生されないおとぎ絵のなかに
仕舞われている
なつかしいのは
それが
かつては在ったけれど
今はもう存在していないから
地中につながる
もしかしたら
地中以外にも通じていると思わせる
地球の中心へ向かう
一本道は
既に埋め立てられていた

地中深く
今も清冽な水は湧いているのに
わたしは
それを汲み出すことが出来ない

取り付けられた
やさしい蛇口ならあるのに
その水じゃないと
首をふってみる

逆流してくる
水のままの水、を
小さなてのひらで受け止めた
夏が来るたびに
想い出す
ポンプ式の古井戸

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【詩サークル群青 六月のお題 『水』 への提出作品】
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by soranosanngo | 2014-07-07 20:09 | | Comments(1)