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もし「嘘をついたことがない」と言ってのける人がいたなら、おそらくそれこそが嘘吐きだと思う。

私自身、多くの嘘をついてきた。(と思う)願わくば、私のついてしまった嘘によって
誰かが傷ついたりしていないことを今は願うばかり。

この話に出てくる「うそ」は、誰かを貶めるためにつくような黒いうそではなく、自分をよくみせるためにつく見栄のうそでもない。
年老いた祖父とその長男夫婦が今まで通り、幸せな日常を維持していくための、ほんの小さな方便の類だったとしたら。
けれど、どんなに罪がないであろうと思われるうそでも、やはりうそはうそ。
それがばれやしないだろうかと、もしばれてしまったら、と、どこかで罪の意識はあるのだ。
嘘はついてしまったときから、後戻りは出来ない。

「おじいちゃんとわたしのあいだでは、ことばよりも、まなざしのほうが、いっそうわかりあえる」
祖父と孫のイザベルの、なんという優しい関係だろう。

この本に出てくる人々はみな善人で優しい。
いっけん、脇役に思えるグレー夫婦もまたその嘘に巻き込まれていくのだが、人生の哀しみというものを乗り越えてきたからこその、優しさに満ちた夫婦だ。

余談だが、とても美しい柳の木がときおり出てくる。フランスにもあるのだなあと思った。
私の故郷の、幼い頃から馴染みの公園の入口にも、その木があって、先日里帰りした際にもあったのを見て、どこかほっとした気持ちになったことを思い出した。
柳の木の佇まいは、優しくて好きだった。

老人とは若死にしなかった幸運な人である。けれど老人問題は介護を筆頭にして、幸運だとは思えない社会問題になっている。

コンスタンおじいちゃんは、最期まで尊厳を持って幸せに人生を全うしたのだと思う。
うそ、によって。そして自らも、うそをつくことによって。
この装丁に書かれている表題「水曜日のうそ」は鏡文字だ。
あたかも真実のうらを返せば、うそであると告げているかのように。
いや、違う。
うその裏こそ、真実なのだ。

2014.11月読了

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by soranosanngo | 2014-11-24 20:52 | 読書ノート | Comments(0)