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朝、テレビをつければ、似たような、どこかで聞いたような事件が報道される。そのたびに珈琲を淹れる手を止めて、聞き入ることもあるけれど、それも5分後には、たいてい忘れてしまう。当事者ではないから。
新聞であったら三面記事と呼ばれるような類の犯罪。をおかしてしまう人々の心の内側を描いた短編集。

この作者の本を読んだのは初めてだったが、どこか角田光代さんに似ていると思った。

その中の一篇「芹葉大学の夢と殺人」夢は見ればいいというものではない。もし見るのであれば、少し手の届くような距離にあるものにしたほうがいい。夢というものはそれが遠ければ遠いほど狂気をはらむ。
夢を諦めることが出来ずに、道をあやまってしまう男の子とそれに翻弄されてゆく女の子。
きっと彼女は彼に、彼の夢に、復讐したんではないかと思った。

鍵のない夢は、現実との境がなくなり、いつしか現実を侵食し、怖いものである。
そんな怖さを覗き見るような面白さ(けれど、というか当然というか後味はあまり良くない)がこの本にあった。
2015,3月読了。

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by soranosanngo | 2015-03-30 11:31 | 読書ノート | Comments(0)

 ある日本の青年医師が、アフリカで医療に従事し、そこで出会う人々、日本の残してきた恋人などが織り成す物語。
 あえて、なぜ、危険な内戦が続く地で、彼は働くという道を選んだのだろう。
 日本に戻れば、もっと便利で安全で豊かな生活が保証されただろうに。

 人が自らの一生をかけて、選ぶその道は、もしかしたらその人の「器」によるところが大きいのではないだろうか。
 この映画の主人公はそういう意味で、とても大きく深くそして温かい器を持った人間なのだろうと思う。
 医療キャンプで、せっかく怪我が治っても、再び戦地へ赴く人々。手をつないで地雷原を歩かされる子ども達。死への恐怖をなくすために麻薬漬けにされた少年兵士。
 悲惨な現実の前に、彼はくじけることなく、いや、もしかしたらくじけそうになりながらも、最後までその志を曲げなかった。
 襲われて「撃て」と渡された銃を「僕は医者だ」と言って人殺しの道具の引き金を引かなかった。
 自分の命を守るために、それを打ってたとえ相手を殺してしまったとしても、誰も責めはしないだろうに。(この映画は、さだまさしの同名の曲を基に作られたそうで、その曲にはモデルになった実在の方がいるそうだ。エンドロールに取材協力としてそのお名前があったようなので、映画のこのシーンとは違い、現実には元気なのだろうと思う)

 彼の命はなくなっても、その遺志は確実に受け継がれていく。
 キャンプに作られた孤児院では、子ども達が「いただきます」と手を合わせて食事する。

 東日本大震災と思われる場所で、彼に「ミケ」と名付けられたかつて少年で、成人して医師となった黒人が、日本人の少年に手をさしのべる。

 感動する映画とひとくくりにすると、拒否反応を感じる人もいるかもしれない。けれどそういった押しつけがましいところはなく、見終わったあと、とても爽やかだった。主演の大沢たかおさんの笑顔によるものも大きいのかもしれないが、とても素直に惹きつけられる映画だった。

 ひどいことをする人間もいる。テロや戦争で命を落とす人がいる。
 けれどこんなふうにまさに「風に立つライオン」のように、素晴らしい生き方をする人もいる。
 もしかしたら彼の志は、風に乗り、あちらこちらで芽を出し、美しい花を咲かせているのかもしれない。春の大地に芽吹く花のように。
 風には国境などないのだから。
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2015.3.19.広島八丁座にて。


「No Country」そらの珊瑚

風が
やすやすと
国境を越えてやってくる

クリスマス寒波に
背中を丸めて帰りを急ぐ人の
ひとりに、ひとつ
用意された家路をたどれば
夜に沈んだ土地に
ぽつり、ぽつりと
灯りがともされれば
人がいとなむ家がそこにあることを知る

あのひとつ、ひとつが
国だったらいいのに
おしょうゆ、きらしちゃって、と
おとなりさんに
借りにゆく気軽さで
人も
国境を越えていければいいのに
(だけどそれが叶わぬことだと知ってしまった、
 人だからゆえ)

風が
渡り鳥を連れてくる
春になれば
彼らが自らの体温を使って
温めた卵から
命が生まれるだろう
その翼は
かるがると
国境を越えていく
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by soranosanngo | 2015-03-20 14:34 | シネマレビュー | Comments(0)

覚悟

覚悟ってなんだろう

人は必ず死ぬというのに
死ぬ覚悟なんて
最後まで出来そうにない

人はみな産まれてきた時
生きる覚悟など
しなかったように



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by soranosanngo | 2015-03-05 17:45 | | Comments(0)

わからない、という評価

 雨の暇祭り、いや、雛祭り。うちのお雛様は出してもらえず、ごめんなさいというしかない。

 昨日送られてきた「詩と思想」三月号の読者投稿欄の入選作を読んで、それまで選ばれていたものとがらりと変わったかんじがした。選者が変わるということは、こういうことなのだと納得。
 
 詩はどこまでも自由であっていいはずで、だから評価の基準だって自由でいいはずなのだ。
 
 わからないから選ぶ、読者を置き去りにしているから選ぶ、それもありなんだと納得できる。

 けれども悲しいかな、私はわかりたいと思うし、置き去りにされたらすがりつきたくなってしまう、タチなのだ。

 感性という御旗を振られたら、ああ、私は凡人だなあと白旗を掲げるしかない。

 けれども、わからないものを読むのは苦痛です。(偉そうに、と感じたら、ごめんなさい)現代絵画を楽しむように、楽しめればいいのだけれど。とこっそり開き直りのような、本音でこうして日記を書いてみる。

 それをひっくるめて、私は詩というもの全てを肯定したいのだから、始末に負えない。

 こんな日は、みすゞの言葉が臓腑に沁みる。
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by soranosanngo | 2015-03-03 14:35 | 珊瑚の気まま日記 | Comments(2)

 国籍もなく、父も、自分の苗字さえしらない、唯一母はいるのだが、その母さえも整形を繰り返し、世間から逃げるようにして世界各地を放浪してきたという設定は、一見ありえないかのようだが、現代の社会情勢を考えれば、必ずしもそうでないのかもしれないと思う。

 母のもとから家出して、親友とも同志とも呼べるような、エリスとアナという女の子と生活を始める主人公マイコ。特にエリスの身の上は、生き残ってきたのが奇跡というような凄惨極まるもの。このあたりから、脳内アドレナリンが出始め、物語は坂道を転がっていくように、ぐっと面白くなる。

 そして後半はマイコの身の上が次第に明かされる。

 ひとくちで言い表すのなら、これはガールズ・サバイバル、冒険の記、だ。

 桐野さんの著書の中には、どんな状況においてもたとえ犯罪に手を染めようが、強く生きるかっこいい女の人が描かれているような気がする。この物語での中心人物となる少女たちは誰しもそんなキャラクターであるけれども、一番それを感じさせるのはエリスだった。
 エリスの強靭さというものはどこから来るのだろう。もしかしたら悲惨極まりない経験から来るものだろうか。平和であったら、少し気の強い、姉御肌のチャーミングな女の子としての人生があっただろうと想像する。結果、その反骨精神というようなものがエリスを生き抜かせることになるのだが、最後は、それによってその反対の結果になるという皮肉さ。だからエリスの結末には、なんともいえない悲しさを覚える。だけれども、あの場面が一番ドラマチックであった。なんにせよ、エリスは、彼女の人生を生き抜いた、のだと思う。

 この本の舞台はナポリ。実は以前、ローマに行った時、ナポリへ行くオプショナルツアーがあったのだけど、それだけで一日を費やしてしまうと聞き、断念した。やっぱり行っておけばよかったと悔やまれる。治安が悪く、観光バスから街へ降りることが出来ないと聞いたのは二十年前。今はどうなんだろうか。

 海の一番深いところの色を、グランブルーだと聞く。
 夜の一番深いところは、なんと呼ぶのだろう。

 絶望、に近いものかもしれない。けれど人は強い。と信じたい。
 この本の終わりに明るい光がさしているように、どんなに深い夜(絶望)だって明けるのだと信じたくなる本だった。

 生き抜こう、私も。

 いいタイトルだなあと思ったら、最後に、『フェデリコ・ガルシア・ロルカ「スペイン警備隊のロマンセ」の一部より』と記されていた。

 2015、3月読了。

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by soranosanngo | 2015-03-02 22:00 | 読書ノート | Comments(0)