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喪失を越えて

海を失った貝殻が
海のうたをうたうということを
知ったのは
遠い昔

人は人を失う
それでもある日
葉をすべて落とした冬の樹が
その身のうちに芽を抱いているように
蘇ってくるのは
長い長いイヤフォンの線をくぐりぬけ
唐突に私に届けられた
なつかしい声
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by soranosanngo | 2015-11-28 11:49 | | Comments(0)

猫と座布団

あの座布団は特別なものらしい
ふかふかだけれど
ずっしりとしていて
お客様が座ったあとも
すぐにそのへこみを押し上げて
へたることがない
もう何十年も
へこたれない
誰もいないお昼寝時に
私もそこへ座ってみるの
この家にやってきて長いこと経ったから
すっかりこの身も軽くなったことを
座布団は知ってて黙っていてくれる
私を可愛がってくれた
おばあちゃんは
盆の時だけやってきて
座布団に座るけれど
もう体重を持たないので
座布団はぴくりとも沈まない

お仏壇の前の座布団
温かいのは窓から差し込む光のせいかしら
それとも祈りがあるからかしら
なんにしても
私のお気に入りの場所なの
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by soranosanngo | 2015-11-27 08:21 | | Comments(0)

冬生まれ

曇り空が時折晴れて
明るい陽射しもあったのに
洗濯物をとりこもうと
手にとれば
ひんやりとしている

ああ また冬が来るんだなあと思う

乾いているかどうか
自分のほほへ当ててみる
私の手は
時にたよりないこともあるから

冬という季節を選んで生まれてきた子のために
布おしめの洗濯に明け暮れていたことがあった
あの頃はどんなにか春が待ち遠しかったことか

ああ また誕生日が来るんだなあと思う
私を母にしてくれた日が来るんだなあと
しみじみと冬を思う
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by soranosanngo | 2015-11-26 15:22 | | Comments(0)

ほとばしるエネルギーに満ちた一冊の本、
若さのそのただ中にいて書かれたタイトル通りの本という気がした。

過激な内容でも(いや、過激だからよけいに、かな)なぜか不思議とそこへ無常観が感じられる。

第二回 月に吠える文学賞 特別賞受賞作品「青き筋肉の疾走」は
筋肉ハンターという奇想天外な主人公ながら、どこか哀切のある実に読ませる作品だった。

Ⅴ・短編集より
【ナイトオーバー】とある伝言板の描写から始まり、特にラストシーンが素晴らしかった。
――一本は小夜子のために。もう一本は顔を知らない彼のために。煙が吸い込まれていった。ここには何もない。何もないところへ来てしまった、と僕は思った。そして空へ昇っていく誰かの弔いの煙をずっと見送っていた。(抜粋)

【燃え尽きた花火の残骸】唐突に、未完の文字が飛び込んでくる。永遠に未完ということが本当に残念。

 「時空モノガタリ」というウェブサイト上でPCの文字で読むのももちろんいいのだが、こうして紙の本の活字として読むということは、読者の心への訴えかけ度が確実に違うような気がする。
 本には電源がない。
 いつでも手にとって頁をめくることが出来る。そこに確かな手触りというものがあって、読者の手の持つ体温が本へ渡ってゆく。本は読まれることで、物体ではない、なにかになる。充電されて、つながる。
 これからも折に触れ、私は彼の書かれた頁、そして想いをめくるだろう。大切にさせていただきます。

 松山椋さんへの追悼作品、私の書いた「驟雨」も載せていただいている。

 心よりのご冥福をお祈りします。2015.11.25

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by soranosanngo | 2015-11-25 15:30 | 読書ノート | Comments(0)

水草と魚

あなたが水草だった頃
わたしは産まれた
あなたは水草の味がした

ここにつどうすべてのいのちは
いのちをきょうゆうしている
だから
それをざんこくなどとおもわないでおくれ

あなたはそう言った気がする
あれは
わたしが巣立つ朝
光満ち満ちて
あなたと別れて
どこかへ向かう朝

ながい時間を経て
ふるさとへ帰ってみれば
水草のあったあたりは崩れ去り
水草であったあなたはもう
かげもかたちもないけれど
ざんこくなことだとおもうのはよそう
あなたの魂は今
わたしの芯でやさしくゆれて
旅の途中できょうだいたちはみな食べられ
ひとりぼっちになったわたしを
あやしてくれる
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by soranosanngo | 2015-11-15 08:35 | | Comments(0)

オオバコ

あの頃わたしたちは
じゆうを持て余していた
空はひごとに高く
ときおり雲が白い鳥の形で去っていった

オオバコは
摘んだぶんだけきっちりと
誰かが補充しているかのよう
草相撲に興じた翌朝も
オオバコは生えていた
わたしたちが
それを必要としている間だけ
答えてくれていたのかもしれない

根こそぎ刈られたようでも
空き地でふたたび植物が芽を出す不思議
ひときわ太く大きなオオバコが
わたしに摘まれたそうに揺れていて
あれから長い時間が経ったなんて
まるで嘘のように思えてくる
あの雲もまた
めぐりめぐっているのだろう
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by soranosanngo | 2015-11-12 10:45 | | Comments(0)

純粋であることのこわさ

駅ですれちがう人のほとんどは
たがいに顔など見てはいない
向こうからやってくる人の
おそらく肩先などを見ながら
ぶつからないように
どこかに焦点を合わすことなく
みな器用に歩いていくから
こんなにもたくさんの人に会いながら
家で帰れば誰ひとりとして
記憶には残らない

ときおり
感情のふたを閉め忘れた人に出会うのも
駅だったりする

怒りの言葉を空に吐いている
けれど
それを受け止める人はどこにも存在していない
まるで観客のいない芝居のようだ
彼の存在もまた
どこにもないかのように
人は彼を通り過ぎていく
一瞬だけ
彼の顔を盗み見れば
その瞳はここにあるもののどこも見てはいない
純粋な領域に魅入られているような気がした

彼はどこへ帰ったのだろう
いや
帰り道ではなかったのかもしれない

なにも記すことのないような一日の終わりに
彼のその瞳だけが
私の記憶のどこかに刻まれたのだった
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by soranosanngo | 2015-11-10 13:39 | | Comments(0)

水草

みずうみのなかで
水草がゆれている
なににもさかわらず
みをまかせるということの
つよさ 

手もない
足もない
朝のわたしの頭上から
あまおとがふってくる
みあげればかすかな光
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by soranosanngo | 2015-11-08 10:16 | | Comments(0)

しじま

瀬戸内海にはたくさんの島があり
その多くには橋がないので船で渡るしかそこへ行く手段がない
「詩島」と書かれたその名前を君は「うたじま」と読んだのだけど
私は「しじま」と読んだ 小さな船でたどりついた船着場で
どちからが正しいのか聞こうにも 
船頭はとりつくしまもなく出立していた

詩を「うた」と読ませるのなら
その島にはうたをきかせる鳥がいなかった
「しじま」と読むには、波の音がうるさかった
船着場以外は高い岸壁に覆われた島であるようだった

しじまとは静寂のことだ
本当の静寂は
すべての音が取り外された
きっとそらおそろしいところで
どんな櫂でも役になんか立たないのだ

船を降りた時からわかっていた
ここは私が選ばなかったもうひとつの現実、なのだと
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by soranosanngo | 2015-11-05 15:12 | | Comments(0)

11月の序章

満開のあと
花がしずかに散るように
赤い木の葉が
しずかに枝を離れていった
風もないのに

秋のただなかで
わたしは
生ききって
ただ、そこに
別れがあることを知る

別れたあと
めくられる
冬という頁に中で
春と夏を思い出しながら
楓は落葉になってゆくのだろうか
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by soranosanngo | 2015-11-02 11:01 | | Comments(0)