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詩「小さな花束」

娘が通う高校では
一年生が卒業生へ手作りブーケを贈る
継がれたきたきまりごとがあるという

卒業式にそれは
三年生が着る最後の制服の胸に
ピンで留められ
その晴れの日を飾る

「プレゼントフォーユー」
いつものように部活帰り
遅く帰宅する娘を
バス停まで迎えにいったら
そういって私に渡された
生花で作られた小さなブーケ
「今日、練習したんだ」
蘭の花とそれを取り囲むかすみ草

ほとんど休みのない部活
なかなか上達しないジレンマ
厳しい顧問の言葉
娘のこの一年を彩ったのは
そんな風当たりの中で産まれた愚痴や泣き言
いつも聞くだけの私
それでも
「優しい先輩がいるから、なんとか続けられるかな」
その言葉をなんと有難いと思ったかしれない

人は人と出会って何かでつながる
嬉しいことも
悲しいことも
学校という期間限定の時間の中で

それらが
長い人生の中で忘れられない宝ものに
なるとしたのなら

「ありがとう」の言葉を秘めて
小さなブーケを飾られたその人に
私もありがとうを贈りたい
生花は翌日しおれてしまうとしても
目にはみえない何かが残るだろう
人から人へ
誰かから誰かに
継がれてゆく小さな花束にシャッターを切る
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by soranosanngo | 2016-01-29 10:39 | | Comments(0)

 弓道の防具で、右手にはめる革製のてぶくろみたいなものを「かけ」と呼ぶらしい。弦を引く際に、主に右手親指を保護するためのものであるとか。
 その革は子鹿のものであることが望ましいそうで、かけとなりうるのは、そのほんのいち部分、子鹿一頭でひとつのかけしか作れないときく。
 想像するに、戦国時代など、武器であった弓の的中率は自分の命を左右するものであったわけで、かけの善し悪しは重大な意味を持ったことだろうし、自分の手になじんだかけは、文字通り他替えのないほど大切であったことだろう。
「かけがえのない」という言葉の由来は、その「かけ」からきているという説も、うなづけてしまう。
 子鹿の命と引換えて作られた「かけ」は他に替えのないほど大切ということか。

 自分にとってかけがえのないものを考えてみる。なくなっては困るかもしれないけれど、あきらめがついたり、しかたないと思いつつも替りになるものがありそうな場合がほとんどだ。そうやってなんとか折り合いをつけていくのが人生ともいえるかもしれない。まだ人生を始めたばかりの幼子でも、冬のくもった窓ガラスに今日描いた絵が、ほどなく消えてなくなるのを知る。がっかりするかもしれない。泣くかもしれない。今日の幼子にとって、それはかけがえのないもの、かもしれない。けれどまた明日も同じように、その小さな指で絵を描くという選択肢は残されている。

 生きている自分、という、自分なりの答えのようなものにたどりつく。
 自分の命は自分でしか生きられない。他の誰にも変わってはもらえないし、命がなくなってしまえば、替え、はない。
 あたりまえのようだけど、かけがえのない、は、目に見えないから忘れがちだ。
 かけがえのないほど大切な命、たとえば自分以外の命だって、永遠ではない。

 永遠ではない世界の中で、また新しい年が始まる。答えだと思っていた地点から、ふたたび問いが始まる。

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写真は山口県にある防府天満宮
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by soranosanngo | 2016-01-15 12:27 | 珊瑚の気まま日記 | Comments(0)

詩「砂漠地帯」

わからないということは
蜃気楼に似ている

ゆらゆらする
もやもやする

それでも
わかったと思う瞬間があったりして
たいていそんなのは思い込みだったりするのだが
オアシスの水を飲もうと
小川に手を伸ばしてみれば
あっけなく砂に変わる

喉は乾き続ける
わからないということを前にして
わからないということは
砂漠に実る
みずみずしい架空の果実に似ている
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by soranosanngo | 2016-01-14 10:10 | | Comments(2)

村上春樹のエッセイのような本で、どうして小説家となったのかとか、どうやって小説を書いているのかとか、その人となりが伝わってくるような本。

【僕が長年にわたっていちばん大切にしてきたのは「自分は何かしらの特別な力によって、小説を書くチャンスを与えられたのだ」という実直な認識です】(52ページより抜粋)
 人生において何かやりとげよう思ったら、自己の能力を肯定する、過大評価でなく、実直に、というのは、それを持ち続けるのは難しいことであろうけれど、とても大切なことかもしれない。
 「小説を書く力」を人によってはたとえば「歌うチャンス」とか「走るチャンス」に変えることだって出来るだろう。

他にもいろいろな文学賞に対する考えなど、普段ではあまり触れることのないバックヤードみたいなものも読めて興味深かった。村上春樹という人が賞に対して興味がないことはわかったが、いちファンとしてノーベル文学賞を受賞して、どんなスピーチをするのか、是非聞いてみたいところである。

人にとっても日常は、楽しいことばかりでなくもしかしたら辛いことのほうが多いかもしれない。
それが現実、だから。
けれどもいったん物語として読むとなると、そこに描かれた人生、決して楽しいだけではない物語はなぜ楽しいのだろうと、つねづね疑問に思っていた。架空の中にひとつの現実だから、ということを差し引いても。
同書の中に「書くことが楽しい」「今度は自分の小説の中でどんなキャラクターに会えるのだろうと思うとわくわくする」というようなことが書かれていて、ああ、そうかと思う。作者本人がいちばん楽しんでいるのだから、それを読む人がすべての人ではないにしろ、楽しいのは理にかなっている、と。
身銭を切って(こういういい回しが膝をたたきたくなるくらいのうまさ)書かれた小説、また読んでみたい。
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by soranosanngo | 2016-01-06 15:27 | 読書ノート | Comments(0)