<   2017年 01月 ( 5 )   > この月の画像一覧

tongue詩

 みみ

キミがみみをすこしかたむける
かわいいとだれもがいうけれど
あれは
獲物の音をきいている
みみは
野生をわすれない

 ふち

カップのふちを
マラソンする小人
いつまでたってもゴールがないという
ふちから落ちてしまえば
楽なのに

 らっきょう

びんのふたを
ぎゅっとしめたはずなのに
におってしまう
らっきょう こわい

 残雪

人に踏まれないままの雪は
きれいなまま逝くのね


[PR]
by soranosanngo | 2017-01-30 08:15 | | Comments(2)

福島原発事故にまつわる様々な人の実情を描いた短編小説集。
そのタイトルが「道成寺」「黒塚」「卒塔婆小町」「善知鳥」「俊寛」とある。
どれもが能のタイトルだ。
絶妙に能の内容が現代に生きる人間の行き様とリンクしている。
電力もない昔に比べても、人の世とは、人間とは変わらないものなのか。

読み進めていくうちに、まるでノンフィクションかのような錯覚に陥る。
「原発で亡くなった人はいない」と国会議員が発言したことは本当のことだし
川内原発(せんだいげんぱつ)のことを「かわうちげんぱつ」と云った大臣のことは記憶にある。
「道成寺」では、主人公の原発作業員がベントを手動で操作する
「決死隊」の一員となりその任務を遂行する。
(電力を産む原発で、地震、津波による破損で電力が使えないなんて
 笑えないブラックジョーク、といったら不謹慎だろうか)
彼には日本を救うなどという使命感はない。
あるのは
「できることなら、この場から今すぐ逃げ出したい」という想い。
あの日。
私はテレビを見ていた。
建屋の中で誰かが命を削って作業していたことさえ知らずに。
水素爆発が起きた。
もう何年も前のことのように思えるのだが、たった6年余り前のことだ。
「道成寺」の蛇の最期は入水して終わるのだとか。
現代の「道成寺」の終わりは永遠とも呼べそうな永い時間が必要だそうだ。
プルトニウム239の半減期は約二万四千年と書かれてある。
その頃、人類は地球で生息しているのだろうか。

この小説がSF小説であったら楽しめただろう。
小説としてとても面白いけれど
面白かったということは、はばかられる。
ここに描かれていることは紛れもなく現実に根差した
震災小説なのだと思うとおそろしい。
「黒塚」の中で被爆についてとてもわかりやすい説明があった。
放射能とは、細くとても固い糸のようなもので、それにとっては人体は豆腐のようなもの。
それは細胞のDNAさえも貫いてしまう。
DNAには傷を修復する能力があり、微量な場合はそれほどの影響はないそうだが
大量被爆によって傷つけられると細胞レベルで死んでいくか、癌化するのだそうだ。

表紙には砂漠のような地に建っている宮殿のようにも思える建物。おそらくその中には
[象]がいて、高い放射線を出し続けている。
端っこに、二羽の鳥と、二人のとても小さな人間がいた。

2017年1月19日読了

<追記>
2017年1月20日に、高浜原発で、クレーンが原子炉補助建屋と燃料取扱建屋に倒れ込んだというニュースがあった。
強風のためらしい。
強風も想定外ということなのか。
屋根の破損だけで、建屋自体に破損はないという。あったら大変なことになっていたのではないだろうか。
なんだか原発ってタイトロープの上にいまだにいるみたいだ。



[PR]
by soranosanngo | 2017-01-20 13:04 | 読書ノート | Comments(0)

詩「古い本を読む」

古い本をひもとけば
としつきという時間がほのかに匂う
薄茶色に変色した紙の
ところどころにシミがちらばり
水分が抜け落ち
乾いた手触りがする
閉じ紐はよじれながらばらけ
背表紙は心なしか色あせている

ああ
あなたはもう古い本になってしまった
わたしも古い人になってしまった
けれど
あなたの魂は
変わることなく
あの頃のまま文字として在る
わたしの魂は
変わりましたか?


[PR]
by soranosanngo | 2017-01-13 09:00 | | Comments(0)

奏でる人のいなくなったフルート
弾く人のいなくなったオルガン
座る人のいなくなった椅子
着る人のいなくなった背広
履く人のいなくなったスリッパ
言葉を記す人のいなくなった万年筆

それらはかたときも動かない

引く人のいなくなったうすいカーテン越しに
人を
待っている
ほんの少し退屈気味に
静けさという息を
吐きながら



[PR]
by soranosanngo | 2017-01-11 10:43 | Comments(0)

小さな噴水
白いビーナス像
ささやかな花壇
校舎に囲まれた中庭に
いつのまにかあらわれた
クローバーの群生

昼休みに
わたしたちは語らいをやめて
四葉さがしに夢中になった
幸せになるお守り
けれど
それが見つかったのかどうか
記憶の底をさらっても
答は残されていなかった
あの頃は知らなかった
すでに
わたしたちは幸せのただなかにいて
これから別れていく三叉路で
やわらかな手を感じ合っていた
ともすれば
押し寄せてくる不安を
つないだ体温で気化させて
見上げれば
四角く区切られた
真昼の蒼空があったことだけを
鮮やかに覚えている



[PR]
by soranosanngo | 2017-01-10 08:06 | Comments(0)