2019年 12月 12日
放課後、中学校の西向きの図書室には、まぶしいばかりの光が降り注いでいた。
全校六百人ほどの生徒の中で、読書なんて今時流行らない趣味を持つ人は、おそらく少数派だ。調べ物ならパソコンで事足りるし、物語が好きならば漫画のほうが手っ取り早い。
すすんで、というときこえはいいが、本音は、気の進まない役をやるくらいならという理由だった。読書好きな私が、図書係に立候補した理由は。
週に一回、放課後の一時間だけ、図書室の貸出しの手伝いをするのは、それほど大変なことでもなかった。
何より、四方を本に囲まれているその中にいる時間は、心安らかだった。
小さい頃から私は引っ込み思案な性質だった。人とのやりとりのささいなことで傷ついたり、逆に自分が人を傷つけてしまうのではないか、とか、考えすぎてますます殻に閉じこもった。
そうして本が唯一の友達になる。本が語ることは、時に残酷であったけれど、それはフィクションであるという安心感があった。
けれども心の奥底で熱望していたのは、紛れもなく人間の友達だった。
「これ、お願いします」
何度か見かけたことのある、おそらく同学年の男子が、古びた文庫本を貸出カウンターに差し出した。
セピア色に変色した図書カードの名前の欄に『松山椋』と書き込まれている。
私は日時のゴムスタンプを、今日であることを確かめて、押す。
2004.10.25と青いインクで刻印された。
「……なんて、読むの?」
本のタイトルに『驟雨』とあったが、それは初めて見る言葉であり、思わず彼に聞いてしまった。
「たぶん、しゅうう、かな」
「へえ、なんかかっこいい」
「だよね」
彼と話すようになったきっかけは、今でもはっきりと覚えている。驟雨の読み方は教えてもらったが、それがなんたるかはまだ知らなかった。
「……なんて、読むの?」
彼は私の左胸のネームプレートを指差した。
「私の名前? せんの さりゅう」
漢字で『千野砂粒』と書く私の名前を、初対面で正しく読まれたことはない。
せんの、は、いいとして、下の名前は、たいていは、すなつぶ? と聞かれる。
小学校の頃、正しい読み方を知ったあとも、あえて、すなつぶと私を呼ぶ男子もいた。からかわれて、怒るというすべを持たない私は、そのたびになんでもない、ふりをして、やり過ごした。
私は自分がなんのとりえもない、ただのすなつぶになった気がして、ひどく嫌な気分だった。そういういきさつもあり、自分のその名前も嫌いだった。
「へえ、かっこいいね」
まるでゲームのようなおうむ返しの会話は、そこまでだった。
「どこが?」
「だって、さりゅう、だなんて、かっこいいっていうしか、いいようがないよ。フランス語でサリューっていう単語もあるしね」
初耳だった。自分の名前が行ったこともない外国の言葉であったことが、目の覚めるような驚きだった。
「どんな意味?」
「確か、さよなら、とか、こんにちは、とか、いわゆる軽いあいさつ、だったかな」
「さよなら、と、こんにちはが、一緒だなんて適当だね」
「うん、適当で、かっこいいね」
私に友達と呼べる最初の人は、眼鏡を掛けていて、とても物知りだった。彼の影響で私は『驟雨』の作者の吉行淳之介のファンになった。彼の描く世界こそ、まさに適当でかっこよかった。
現代では失われた赤線について、話し合う中学生は私たちくらいのものだったかもしれない。
いつだったか、彼が話してくれたことがある。将来、生き延びて、自分の書く小説の主人公の名前を、さりゅう、としてもいいか、と。とても控えめでいて、けれど芯のある声だった。
彼は小さい頃から、身体が弱く、入退院を繰り返していたという。
私は胸がいっぱいになり、ただうなずくばかりだった。
あの時も、図書室の窓辺からは見慣れた西日が降り注いでいた。彼はその光を浴びて、透けそうなくらい、輝いてみえた。
ああ、もしかしたら、この光こそ、すなつぶであり、驟雨ではないか。
そう思い当たったのだが、言葉にして彼に伝えられなかったことが今でも悔やまれる。
全校六百人ほどの生徒の中で、読書なんて今時流行らない趣味を持つ人は、おそらく少数派だ。調べ物ならパソコンで事足りるし、物語が好きならば漫画のほうが手っ取り早い。
すすんで、というときこえはいいが、本音は、気の進まない役をやるくらいならという理由だった。読書好きな私が、図書係に立候補した理由は。
週に一回、放課後の一時間だけ、図書室の貸出しの手伝いをするのは、それほど大変なことでもなかった。
何より、四方を本に囲まれているその中にいる時間は、心安らかだった。
小さい頃から私は引っ込み思案な性質だった。人とのやりとりのささいなことで傷ついたり、逆に自分が人を傷つけてしまうのではないか、とか、考えすぎてますます殻に閉じこもった。
そうして本が唯一の友達になる。本が語ることは、時に残酷であったけれど、それはフィクションであるという安心感があった。
けれども心の奥底で熱望していたのは、紛れもなく人間の友達だった。
「これ、お願いします」
何度か見かけたことのある、おそらく同学年の男子が、古びた文庫本を貸出カウンターに差し出した。
セピア色に変色した図書カードの名前の欄に『松山椋』と書き込まれている。
私は日時のゴムスタンプを、今日であることを確かめて、押す。
2004.10.25と青いインクで刻印された。
「……なんて、読むの?」
本のタイトルに『驟雨』とあったが、それは初めて見る言葉であり、思わず彼に聞いてしまった。
「たぶん、しゅうう、かな」
「へえ、なんかかっこいい」
「だよね」
彼と話すようになったきっかけは、今でもはっきりと覚えている。驟雨の読み方は教えてもらったが、それがなんたるかはまだ知らなかった。
「……なんて、読むの?」
彼は私の左胸のネームプレートを指差した。
「私の名前? せんの さりゅう」
漢字で『千野砂粒』と書く私の名前を、初対面で正しく読まれたことはない。
せんの、は、いいとして、下の名前は、たいていは、すなつぶ? と聞かれる。
小学校の頃、正しい読み方を知ったあとも、あえて、すなつぶと私を呼ぶ男子もいた。からかわれて、怒るというすべを持たない私は、そのたびになんでもない、ふりをして、やり過ごした。
私は自分がなんのとりえもない、ただのすなつぶになった気がして、ひどく嫌な気分だった。そういういきさつもあり、自分のその名前も嫌いだった。
「へえ、かっこいいね」
まるでゲームのようなおうむ返しの会話は、そこまでだった。
「どこが?」
「だって、さりゅう、だなんて、かっこいいっていうしか、いいようがないよ。フランス語でサリューっていう単語もあるしね」
初耳だった。自分の名前が行ったこともない外国の言葉であったことが、目の覚めるような驚きだった。
「どんな意味?」
「確か、さよなら、とか、こんにちは、とか、いわゆる軽いあいさつ、だったかな」
「さよなら、と、こんにちはが、一緒だなんて適当だね」
「うん、適当で、かっこいいね」
私に友達と呼べる最初の人は、眼鏡を掛けていて、とても物知りだった。彼の影響で私は『驟雨』の作者の吉行淳之介のファンになった。彼の描く世界こそ、まさに適当でかっこよかった。
現代では失われた赤線について、話し合う中学生は私たちくらいのものだったかもしれない。
いつだったか、彼が話してくれたことがある。将来、生き延びて、自分の書く小説の主人公の名前を、さりゅう、としてもいいか、と。とても控えめでいて、けれど芯のある声だった。
彼は小さい頃から、身体が弱く、入退院を繰り返していたという。
私は胸がいっぱいになり、ただうなずくばかりだった。
あの時も、図書室の窓辺からは見慣れた西日が降り注いでいた。彼はその光を浴びて、透けそうなくらい、輝いてみえた。
ああ、もしかしたら、この光こそ、すなつぶであり、驟雨ではないか。
そう思い当たったのだが、言葉にして彼に伝えられなかったことが今でも悔やまれる。
口を開けば、泣いてしまいそうだったから。
*この作品は急逝された時空モノガタリの書き手でいらっしゃった「松山椋さんの足跡」というテーマで書かせていただいたお話です。その後松山さんのお父様とはツイッターなどを通して交流させていただいております。
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by soranosanngo
| 2019-12-12 17:16
| 時空モノガタリ投稿作品
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