無名の画家たち(2)

d0253237_19214257.jpg
 そうして唐突に夢が終った。枕もとのケイタイが鳴ったからだ。ああ、残念。シェリー酒を飲み損ねた!それはボーイフレンドからのメールだった。
【今日ピカソ展、行かん? バイト先の店長から割引券ゲット!】なんだかピカソついてるなあ。

 翔太は美大を卒業してから7年、コンビニでバイトしながら、絵をあきらめずにいる。油絵にうつつをぬかし続けている男だ。メジャーな公募展に通ることを夢見ているが、一度たりとも賞を取ったことなどない。そんな翔太を応援してはいるものの、この先の不安はぬぐいされない。もう、私も来年三十歳。好きという気持ちは変わらないけれど、将来のことを考えると胸の中がもやもやする。別れようか。いや、別れてしまったらきっと後悔するのではないか。

 カタン、カタン。

 その考えは天秤秤のようにせわしなく動く。

 秤を宙ぶらりんにしたまま、とりあえず翔太と待ち合わせをして、上野の森美術館に出かけた。ごったがえした人ごみのなか、ひとつの絵にくぎづけになった。



 タイトルには、こうあった。
「名前を忘れた女」
d0253237_1120365.jpg


 ふふふ。とびきりの美女じゃない! 肘掛け椅子には妙齢のハポネッサ。横のテーブルには黒に近い赤葡萄と何かのお酒のビン。いえ、あれはシェリー酒。

「ねえ、翔太、明日描く絵が最高傑作って言った人、知ってる?」
「ピカソだろ」
「ピカソの本名は?」
「ええっと、確かものすごく長いんだよね、なんだっけ」
「パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・フアン・ネポムセーノ・マリア・デ・ロス・レメディオス・シブリアーノ・センティシマ・トリニダード・ルイス・イ・ピカソよ」
「へええ。よく知ってるじゃん。ピカソ好きだったっけ?」
「好きよ。だって、ピカソのモデルだったから。翔太のモデルも一生やってあげてもいいよ。ね、これからうちにおいでよ。とびきりのシェリー酒で乾杯しよう!」
「はあ?」



 翔太はアンダルシアの鳩みたいに目を丸くさせ、ずれた眼鏡をかけなおした。
 私は昨日の夢を生涯忘れないだろう。もちろん、まるでジプシーの呪文のように長ったらしい、あのキュートな名前も。

 グラーシアス!

 私は翔太の手を取り、人波に逆らうようにもときた道を引き返した。

「ちょ、ちょっと、なんだよう」
 
 かまうもんか。ダン!ダン!横浜元町のチャーミングセールで買ったミハマの中ヒールで、私はフラメンコの踊り子のように、勇敢に進むのだ。

 「お客さん、そっちは入り口……」
受付の声が追いかけてくる。
かまうもんか!

 おわり
[PR]
by soranosanngo | 2011-07-30 19:15 | 無名の画家たち(ファンタジー) | Comments(0)