はねむうん


 中腹まで登ってきただろうか。さすがに女の脚にはこたえる急斜面であり、竜馬、おりょう、そして道案内の男、三人はしばし路の岩に腰をかけ、休憩をとっていた。
 
 それにしても今が盛りと小さな花々が無数に咲き誇る様は圧巻であった。薄桃色の海のようだと、肩で息をしながら、おりょうはおもわず見とれた。道案内の男が『きりしまつつじ』だと誇らしげに告げる。
「この景色はまことでありましょうか?」
 傍らで熱心に、ここ高千穂の峰の様子を書き記している竜馬に言った。
  
 竜馬と出会ってからというもの、思えばうねる嵐の海を小さな櫂を頼りに漕いできた日々であった。
 
 ふた月前、寺田屋で何者かに襲われ、夫竜馬は負傷した。それから静養も兼ねて二人は薩摩に渡る。塩浸(しおびたし)の湯で長逗留したかいもあり、だいぶん傷も癒えてきたのだった。
 高千穂の峰は、そんなおりょうの胸のうちを知ってか知らずか、今日は穏やかだった。時折そよそよと微風が頬を撫でていくだけである。
 
 竜馬は、左腕に深い刀傷を負って、意識が朦朧をするなかで
「心配いらんぜ」
 と言った。
 おりょうは気性の強い女である。女だてらにやくざものに啖呵を切ったこともある。妹が借金のかたに女郎に売られそうになった時だ。
 ともかく窮地に追い込まれると、負けるものかという気持ちがむくむくと沸き起こる。それが竜馬にとっては魅力的であったが、竜馬仲間の亀山社中の男たちの中には心良く思われていないのも、おりょうは承知していた。
 その度『うちの味方は竜馬さんだけでいいんどす』とつぶやいてきた。

「何ぞ言ったか? おりょう」
「ええ。この景色はまことでありましょうか、と」
「まことであろう。おまんは変なことを言うやつじゃのう」
「まことにまことでありましょうか」
「わしが保証するき。心配いらんぜよ」
「なんだかこの峰の様子があまりに美し過ぎて、疑り深くなってしまいました。堪忍え」
「わしにはおまんの方が美し過ぎるわ」
 
 道案内の男は、ふたりの会話は聞こえぬふりを装い、竹筒の水をごくりと飲んでいる。
 竜馬は足元に手をやり、きりしまつづじの花をひと枝手折って、おりょうの黒々とした丸髷に挿した。おりょうは頬をほんのり蒸気させ、そっと後れ毛を手で直した。

「いにしえに、ににぎのみことっちゅう神さんがこの高千穂の地を開いたそうだが、今まで何度となく噴火を繰り返したっちゅうことじゃ。今はまことの景色でも、明日はわからん。わしが保証するのは今、この時だけっちゅうことじゃ」
 竜馬のその言葉に、なぜだかおりょうは胸にうちがざわめき、自然両の手をしっかりと合わせて祈り始めた。
「何をしゆうがか?」
「竜馬さんの明日をお祈りしてるんどす」
 ◇
 同年、慶応三年十二月十日京都近江屋で竜馬は暗殺され、短いふたりの結婚生活は終わった。
 
 後年発見された新しい惑星が、それぞれ『りょうま』『おりょう』と名付けられたということである。
 今頃空の上で、あれが日本初の新婚旅行になったらしいと二人で笑っているだろう。
 竜馬のことだから『西洋じゃ、はねむうん、いうらしいのう』とでも言って照れているかもしれない。
 
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Commented by tobetonbi at 2018-09-09 15:30
史実の龍馬がどんな人物だったのかはともあれ、司馬遼太郎さんが造型した竜馬像はまぶしいですよね。
ご自身の作品の中にだけでなく、様々な人の中に「私の竜馬」を生み出している。
Commented by soranosanngo at 2018-09-10 09:47
「竜馬がゆく」昔、わくわくしながら読みました。
もし彼が生き延びていたら、世界に飛び出してすごいことをやったのではないかと夢想したりします。
コメントありがとうございました。
by soranosanngo | 2013-10-24 15:03 | 時空モノガタリ(掌編小説) | Comments(2)