牧歌
2014年 02月 08日「雪とけて 村いっぱいの 子どもかな」小林一茶
雪玉を投げ合う無邪気な子どもたちをみつめるまなざしのなんて優しいこと。
想像するに、冬の間なんとか命をつないできた決して豊かではない山村において子どもは希望だったのだと思う。宝だったのだと思う。春だったのだと思う。
優しい、と、易しい、は とてもよく似ている。
優しさは日本人の血の中に脈々と受け継がれてきたものだし、易しい言葉というものは、一見軽い羽のように見えるが、実は砂金のように心の奥底に沈殿していく。現代詩という得体のなさに時に塞がれたようになっていたわたしの心が、今日なぜかこの一句の易しい言葉たどりついた。
現代において「牧歌」は失われてしまったのだろうか。
いいや、わたしはそうは思わない。もちろん本来の意味での牧歌は日本では失われてしまったかもしれない、
家から出ずとも世界の果てまでネットワークでつながった現代においても、実は人の心はそう変わらないのではないか。
ほら、あともう少ししたら子どもたちが公園に集まってくるはす。わらわらと。子どもたちによって踏まれた雪はやがて茶色の泥水になって、土に染み込み、そのゆくえは知りえないものだけど、たぶん私たちは直感で既に知っている。春へつながってゆくことを。
きっと。
春はもうそこまで来ているような気がする。とても寒い朝なのにねえ、雀よ。


ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
ポカさん、お立ち寄りいただきありがとうございます。
ネットの功罪それぞれありますね。ネットがなかった時代を知っている私たちのような世代はそれを如実に感じるのかもしれません。
英語俳句の和訳ですが。わーそれは難しそう。
英語で日本語のニュアンスを伝えることが出来ればとても素敵なことですね。
応援してます。頑張ってください!
ネットの功罪それぞれありますね。ネットがなかった時代を知っている私たちのような世代はそれを如実に感じるのかもしれません。
英語俳句の和訳ですが。わーそれは難しそう。
英語で日本語のニュアンスを伝えることが出来ればとても素敵なことですね。
応援してます。頑張ってください!
Like
by soranosanngo
| 2014-02-08 10:16
| 散文詩
|
Comments(2)