「降霊会の夜」浅田次郎

 私はオカルティズム信奉者ではないし、降霊、たとえば日本でいうならイタコなど、正直にいえばどこかうんさん臭さを感じてしまう。
 実際経験したことがないからといって(霊魂が存在するのかしないのか、それは永遠の謎であるが)全否定してしまうことは簡単である。
 簡単であるけれど、それでは面白くはない。
 樹々が水辺のなかで揺れるさかしまの世界。なんとも魅力的であるのだから。

 この小説の冒頭はこんなうたで始まる。

 『来しかたを さながら夢になしつれば 覚むるうつつの なきぞ悲しき』 権中納言資実

 夢というのは不思議だ。私の夢には故人が出てくるときがあるのだが、会話もするし、リアルなのだ。
あるときなど「死んだと思っていたけど、死んでなかったんだね」と言ったら、その人は何も言わず苦笑していたように思う。

 この小説は主人公に会いたいと想っている人を降霊術によって会わせるのだが、主人公が会いたいと思っている人とそれは必ずしも一致しないとことがミソである。
 ……くだんの私の夢に出てくる人は、この小説を借りるならば、私が会いたいと思っている人ではなく、あちらの方が会いたいと思っているのだろうか……もちろんその両方の思いが合致したとも考えられる。

 結果を言ってしまうと、主人公が会いたいと思っている人には、最後まで会えなかった。
 
 浅田次郎の文体はとても読みやすく、私がとても好きなのは江戸っ子的なしゃべり部分。
 するすると読めるけれど、心にひとすくいの何かが残る。

 『まちがいでは済まされぬ取り返しようのない道筋を、歩いてきてしまったような気がした』
 この文は最後の方に記されていて、印象深い。
 今、このときも、私は取り返しのできない道筋を歩いている。人生ってそういうものなんだろう。

 2014.7.読了

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Commented by 泡沫恋歌 at 2014-07-20 18:32 x
この作品は読んだことがないけれど、浅田次郎は私も好きな作家です。この作家の作品は、読みやすくて文学性が高いと思う。
Commented by soranosanngo at 2014-07-23 13:01
恋歌さん、コメントありがとうございます。

時代物やファンタジーまで作風の広いし、
長編も短編もはずれがないような気がします。
余談ですが、直木賞をとった時、自転車でその会場に来たっていう
エピソードも好きです。
by soranosanngo | 2014-07-20 16:14 | 読書ノート | Comments(2)