「星々たち」桜木紫乃

九篇の短編が、読みすすめていくうちに全てが微妙につながっていることがわかってくるという構成の小説。
星のひとつが、ひとりの人であるとしたら、それをつなげて出来る星座のような小説だと思った。
それも綺羅星のような一等星ではない。今にも消えてしまいそうな、それでも懸命に与えられた身の上を生きようとしている、弱々しい光の星。もがいているようにも、見える。
生きづらい時代だからこそ。
夜の空に、もしそんな星を見つけたら、人は何を思う、のだろうか。

登場人物のほとんどが、世間一般の尺度の幸せからは程遠い身の上を生きている。
たとえば人を殺してしまって逃げている男とか。
その中で、夫婦の間の埋まることのない溝を持つ女(その女の息子は千春と結婚し、生まれたやや子を育てることになるのだが)は、命から逃げることなく、自らの手で育て上げる。彼女は理容師で、手に職があるということの絶対的な強みがあるのだが、それを差し引いても、すさんだ物語のなかにおいて、ほっとできる箇所であるような気がする。

これまで私が読んだ桜木さんの小説の舞台は、どれも北海道だった。
最終章の「やや子」の中に、「道東はネギも育たない場所」という描写がある。関東の海辺の穏やかな場所で育ち、それから移り住んだところはみな、ぬくぬくとした場所であった私には想像を超えた厳しい自然があるのだろうと思う。ネギは土に植えておけば、いくらだって根を生やし、成長する強い植物だと思ってきた。
けれど北海道の厳しい自然環境では育たない。「置かれた場所で咲きなさい」と言われても、ネギにとってそれは出来ない相談。
この本の主軸とも言える二人の女に、欠落、もしくは希薄なのは、母性なのだろう。けれどそれを責める気にならないのは、おそらく二人共、置かれた場所で咲くしかなかったからだと思う。


だとしても、千春という女が哀れだ。哀れで、実に強い。
彼女が母親からもらったものは、千の春、美しい名前だけだったのだろう。果たして咲子という母親は、それにどんな願いを込めていたのだろう。

「尖っているから皮膚に刺さったんでしょうけど、こうして体から出てくるときは角が取れてるんですよね。頭の中で丸くなるっておかしいですよね」
これは交通事故で片足を失った千春の後遺症――顔に突き刺さった硝子片で、手術で取り除けなかったものが時折出てくる時の、彼女の台詞である。何かを示唆しているようで、思わず何度も読み返してしまった。こういうところが、本当に巧い作家だと思う。
彼女が最後に向かう場所とは……それが明かされてまたしても私は唸った。

困ったら誰かが助けてくれると言い切る彼女の生き様を、他人に依存するばかりの人生なんてと眉根をひそめることは簡単だ。けれどもそう開き直ってしまえば、「生きていく」ことだけが人生の目的になり、あれこれ思い悩まずとも、生きていくことを実にシンプルに肯定できそうだ。

タイトルの「星々たち」という言葉が、本編の中で出てくる。その時、読者はきっと「あっ」と思うだろう。

彼女はその硝子の破片を、薬の空き瓶の中に蒐集している。

まるで自分が生きたことの、ささやかな証のようにして。

2015年、2月読了。
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by soranosanngo | 2015-02-19 13:13 | 読書ノート | Comments(0)