引越し

マンションの12階に住んでたころ
風の強い日は玄関のドアが鋼鉄のように重くなる
誰かが外側からまるで開けさせまいと押しているのではないだろうか、と
真面目に怖くなったりもした
風というものは案外狂気をはらんでいる
じべたから遠く離れれば離れるほど
その怖さは増すというような
方程式が存在するとしたら
青い空に放たれた赤い風船を思い出すたびに
胸がざわざわとするのは正しい感情なのかもしれない
あの時の空の色はほんとうに
切れそうなほどの青だった

エレベーターはあったものの
地下の駐車場までいくつかの階段をクリアしなければならなかった
こじゃれた雰囲気の三段だけとかもあって
ベビーカーを押している身にとっては
なぜスロープにしないんだ!? と
そのたび舌打ちしたものだった

おまけに排気ガスでいつも澱んだ空気に満ちた立体駐車場で
ああ、ここはカラダに悪い、と罵りながら
自分の車に乗るまで
ボタンだとかキイだとか
煩雑な手間と時間がかかって
人間はこうやってひきこもってゆくんだなあとか
すべてがおっくうになりかけていた

引っ越したばかりの街で
唯一知っている人、だんなの帰りは相変わらず遅い
アンパンマンは台詞を覚えてしまうほど
三歳の息子と一緒に見倒した

そんな時、無くしてしまったと思っていた
生後5ヶ月の娘の
黄色い小さな靴下の片方を見つけることができた
おそらく誰かの優しい手によって
駐車場の操作盤にそっと置かれていたのだ
ささいなことが
日常を復活させることがある

ドアを開けなければ
それを拾うこともなかったという事実

私はあやうくひきこもりから脱出した
(気がした)

そのマンションは南海高野線の線路脇に建っていて
終点は高野山だと聞いていたが
高野山に一度も行かないまま
誰かにありがとうと告げることもないまま
私たちは再び引越した

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by soranosanngo | 2015-04-15 14:06 | | Comments(0)