2015年角川短歌8月号をよむ

初めて短歌の詩誌を読んでみようと思ったのは、その表紙に「河野裕子の魅力」と書かれて、彼女の特集が組まれていたからだ。
私が短歌を作るようになった始めの頃、河野裕子さんという人を知った。

好きな短歌はたくさんありすぎて、でもやっぱり今はこれかなと思う。

「さびしいよ息子が大人になることもこんな青空の日にきつと出て行く」(河野裕子)

産まれてから同じ家で生きてきて、成長して独り立ちしてゆくことはよろこばしいことなのだろうけど、やっぱりストレートにさみしいことなのだろう。青空は祝福のイメージだけれど、見送る側にとってはさみしい明るさを含んでいる。
巣立ってゆくときの万感が胸にこみあげてきて、この句に触れると
私はいつも泣きたいような心持ちになってしまう。
実際のところ、息子はもうすぐ二十歳になるので、そんな日も遠からずと思う。

世の中には、すばらしい短歌がたくさんあるのだなあと感嘆する。
歌人の感性って、よく研がれた刃物みたいに、日常を切り取っているのだなあ、と。


最も印象深かった2句を書き留めておきたい。

「食卓をしずづけさとししづけさの光源におく桑の実のジャム」(渡辺松男)

実家にあった一本の桑の木を思い出した。それはおそらく母が実家から移植したものではないかと思う。
母の実家は群馬県で、今はもうやっていないが、昔は家業の副業として、養蚕をしていた。
蚕は桑の葉を食べて育つ。あんなにごわごわともそもそした葉を食べるなんて、と思うのだが
蚕が白い絹糸を吐き出すための秘密が隠されているのだろう。
桑の木を見て、母は何を思ったのだろうか。
桑の実は小さくてきれいな赤い色。そのジャムを食べたことはないが、苺のジャムなどとは違い、一般的ではないので、おそらく手作りのものだと想像できる。
そんなつつましやかなジャムを光源にした、食卓の静謐のあたたかさが伝わってくる。

「服を着ても少し震えているチワワどこへ行くのだろう旧姓は」(北山あさひ)

こんなふうに詠んでみてもいいんだって目からウロコかつ楽しい!!
結婚して20年、ほんとうに旧姓ってどこ行っちゃたんだろうって思う。

というわけでこんな句を今朝つくりました。一応、返歌みたいなかんじで。

「だれとも手をつながないでどこへゆくつもりなんだろう、いいえ、どこへも」(そらの珊瑚)



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by soranosanngo | 2015-10-22 12:07 | 珊瑚の気まま日記 | Comments(0)