読書note「青き筋肉の疾走」松山椋

ほとばしるエネルギーに満ちた一冊の本、
若さのそのただ中にいて書かれたタイトル通りの本という気がした。

過激な内容でも(いや、過激だからよけいに、かな)なぜか不思議とそこへ無常観が感じられる。

第二回 月に吠える文学賞 特別賞受賞作品「青き筋肉の疾走」は
筋肉ハンターという奇想天外な主人公ながら、どこか哀切のある実に読ませる作品だった。

Ⅴ・短編集より
【ナイトオーバー】とある伝言板の描写から始まり、特にラストシーンが素晴らしかった。
――一本は小夜子のために。もう一本は顔を知らない彼のために。煙が吸い込まれていった。ここには何もない。何もないところへ来てしまった、と僕は思った。そして空へ昇っていく誰かの弔いの煙をずっと見送っていた。(抜粋)

【燃え尽きた花火の残骸】唐突に、未完の文字が飛び込んでくる。永遠に未完ということが本当に残念。

 「時空モノガタリ」というウェブサイト上でPCの文字で読むのももちろんいいのだが、こうして紙の本の活字として読むということは、読者の心への訴えかけ度が確実に違うような気がする。
 本には電源がない。
 いつでも手にとって頁をめくることが出来る。そこに確かな手触りというものがあって、読者の手の持つ体温が本へ渡ってゆく。本は読まれることで、物体ではない、なにかになる。充電されて、つながる。
 これからも折に触れ、私は彼の書かれた頁、そして想いをめくるだろう。大切にさせていただきます。

 松山椋さんへの追悼作品、私の書いた「驟雨」も載せていただいている。

 心よりのご冥福をお祈りします。2015.11.25

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by soranosanngo | 2015-11-25 15:30 | 読書ノート | Comments(0)