読書note「あこがれ」川上未映子

小学生の男の子、女の子の物語。

冒頭にまずひきつけられる。
「フロリダまでは213。丁寧までは320…」名詞と数字の羅列がしばし続き、その数字が男の子の歩幅だとわかってくる。子供は身長が低い分、物理的にいっても地面と近い。そして退屈な通学路も、ちょっとした空想によって愉しくしてしまう遊びの天才なのだ。
「880で大作家。912でフランス人」中略「そしてミス・サンドウィッチまでは、いつだってちょうど950」
前半は男の子と、彼がミス・サンドウィッチと名づけた女の物語。彼女は整形手術に失敗したらしく、ちょっと変わったまぶたの持ち主で(それが彼にそう名づけさせた)もちろん彼は親しみを込めて心の中でそう呼んでいた。
彼女はサンドウィッチの売り子だったが、愛想のないふるまいに怒った客に「顔面改造ブス女」と呼ばれ、それが発端となりひと騒動持ち上がり、結局彼女は店を辞めることになる。
男の子はかねてから彼女のことを「かっこいい大人」だと思っていたので、最後に勇気を持って話しかける。彼女を描いた絵を渡すために。彼女は、結婚してこの街を出てゆくのだという。それが本当かどうかはわからないのだが、彼女は胸を張ってこれからも生きていくのだろうと思った。 
たとえば人と違う容貌や、普通でないところ、障害者と呼ばれるような者に対して世間が優しくなれるとしたら、その人が同情すべき弱者のようなふるまいを持つということに対してという場合が本音のところではあるかもしれない。
けれど彼女は毅然としている。客に対してもおもねない。もともとそういう性格だったのか、それとも何かを経てそこへたどりついたのかはわからないけれど、そこを私もかっこいいと思った。
第二章「苺ジャムから苺をひけば」は男の子の友達の女の子ヘガティが主人公。
ちょっと複雑な家庭で(それは男の子もそうなのだが)それを悩んでいながらも、どこかたくましい独自の視点を持っている、そんな女の子。

子供が語る物語、自分の子供時代のことも思い出されて、どこか懐かしい。
時間的にいえば、もう失われてしまったものだが、きっとこの心のどこかにまだいる、そんな愛しさも同時にわきあがる。
友達や周りの出来事によって少しずつ成長してゆく時間、今思えばそれはとてもゆっくりと自分を取り巻いていたような気がする。過ぎ去ってしまえば、あっというまだったのに。

余談だが、カタカナの名前で登場するだけで、どこか外国の児童文学を読んでいる錯覚に陥った。

読み終わって「あこがれ」というタイトルを自分なりに考えてみる。
男の子にとってそれはミス・サンドウィッチ。徒歩で950歩のところいた人。だけどもういない。
女の子にとっては亡くなってしまったお母さん。だから異母姉を訪ねていったのだが、やんわりと切られてしまう。
どうやら、あこがれ、とは、手がとどかないものらしい。
だけどそれに向かって手をのばすことにこそ、大切なレッスンが詰まっている、そんな気がする。
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by soranosanngo | 2015-12-09 10:31 | 読書ノート | Comments(0)