読書note「空白を満たしなさい」平野啓一郎

最近はただ一日を過ごしただけで夜には疲労は蓄積されてしまい、長い本を読むのがおっくうになった。この本は493頁なのだが、自分にとっては珍しく長い本。

死んだ人間が生き返り、復生者として社会にあらわれるという事象が多発する、そんな設定のもと
物語はすすむ。

復生者のひとり、主人公である徹生の死因は自殺ということで処理されていた。
それを知った彼は驚く。自殺なんかした記憶がないからだ。
自分は或る男によって殺されたのだと、その死の真相を探ろうとする。

主人公の男は死んでよみがえるまでの間の記憶がなく「空白」となっていて、
それがタイトルにつながっている。
しかし、普通に生きている人々に、「空白」がないかといえば、あるのだと思う。
例えば、充実している日々を生きている人の心に芽生える不幸を感じる時間に。
(幸福であることを自覚する一方でぽっかりあいた虚無感のようなもの)
人間ってほんと矛盾してるなあ…。
人の心の多様性を「分人」と表現していて、弱い分人を強い分人が消し去ろうとする結果
死ぬという意識はなくとも結果自殺が起きてしまう。
ゴッホの死因についても描かれていたのは興味深かった。
ゴッホの自画像はどれも違った印象だという。まさにそれらが分人だとしたら合点がいく。
けれど「消すのではなくて、認める」のだという。そんな言葉が意義深い。
うつ病による自殺が今の日本で10万人ともいわれているそうで、今日的な問題を提示させながら
ストーリーは面白く、章立てが細かいので私のように一気に読めなくとも飽きさせない。

ただひとつ、徹生が自分を殺した犯人であろうと思い込んでいた佐伯という負の人生観をまとったような男について謎のままだった。
彼もまた復生者であり、実は自分は徹生の死んだ父だと告げたことが本当だとは思えないし、物語の中で真実は明かされていなかったように思う。
だとしたら彼は何者だったのだろう。徹生の分人なのか。それとも幻のような存在か。
何かを語る重要な登場人物だっただけに、気にかかる。

紆余曲折あって、最後に徹生がなにもかもを受け入れたある境地にたったような
ラストシーンの描写にちょっと鳥肌がたった。
「光の驟雨が降り注ぐように、盛んに煌く千光湖の畔に、水鳥に囲まれた璃久と千佳が立っている。」(本文492頁より抜粋)
光がまぶしくて目が明けていられない。そんな経験をしたことが誰でもあるだろう。
閉じた瞼の中で、光がスパークする、そんな実感。
もしかしたら産道を通って誕生した赤子が初めて体験する実感かもしれない。
と同時に命が消えてゆく時も、もしかしたらそんな追体験をするのかもと想像した。
どちらも記憶としては残らないものだから確かめようがない。

少し前、時空モノガタリというサイトで「驟雨」という掌編小説を私が書いた時、生と死を背景にしてひかりのつぶが降ってくるようなイメージを驟雨として表現した。
プロの作家の書いた文学作品に照らし合わせるなどという大それた気持ちは毛頭もないのだが、
勝手にリンクしたような気持ちになり嬉しかった。
(かねてから読みたいと思っていた作家であったので)

2015.12.16
[PR]
by soranosanngo | 2015-12-16 16:06 | 読書ノート | Comments(0)