詩「カード式記憶装置」

桜の前で人々は
デジカメやケータイのシャッターを切るのに忙しい
かくして
ひとひらに
宿る
いのちの姿は
小さなSDカードに
吸い込まれていった

いつまでも
変色しない
美しい
二次元の想い出が
そこに閉じ込められる

春の嵐で散りゆく
いくひらに
宿る
いのちの姿に
裏や表があることなど
想いをはせることもなく
忙しい毎日を
今日も
カードに記録していく私

 良寛さんの辞世の句「裏を見せ表を見せて散る紅葉」というのがあるのだけど、紅葉の裏表はわかる気がするが、桜のはなびらの裏表は樹をいったん離れてしまったらわからなさそう。
 人の裏は見えにくい(見えないように)ものだけど、もしかしたら裏にこそ人間味があるような気もする。
  
さよならと笑顔で手をふった人が数秒後真顔に変わるその瞬間を見る
みたいな短歌があって(もう作者も実際のうたもちゃんと覚えていない)それは「裏」と呼ぶにはそれほどの裏でもないけれど、人に見られる前提の「表」の顔とはやはり違うのかな、と。
 そういうものが短歌や詩や小説に描かれてると、カードに記録しないでも心に残る。
 でもまあ、生きてると、知らなきゃよかったという場合も多々あったりして。自分の裏、というのも含めて。


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by soranosanngo | 2017-02-26 13:00 | | Comments(0)