カテゴリ:読書ノート( 28 )

久しぶりに読んだ長編小説。面白くて534ページを三日で読んだ。
ミステリーなのだが、現代社会の問題(DVとか貧困とか)も背景にしていて
女性のシェルター組織を主軸にして物語は進む。

一人の毒婦による犯罪の数々があきらかにされていく。
若くなくなった自分にもう女としての価値はないと知るや、裕福な女にすりかわることを目論む。
女は若い時、劇団で女優をやっていて、その時の経験が役に立つ。
血縁もない別人にすり替わるなんて、普通の人には出来ないだろう。
だけど彼女は、鏡の部屋でどんな角度でもその女に見えるよう練習する。
(鏡は古来から、呪術的な意味あいもあったことを考えると、夜など鏡を見るのはちょっと怖い)
見た目だけでなく、しゃべり方はもちろん考え方も模倣する。
そういうことに関して、突出した才能があったのかもしれない。
ということは、まっとうな生き方を選んでいたら、ひとかどの女優にもなれたんじゃないかと思ってしまう。
徹底的に模倣を重ねながら月日が経っていく。
身近な人のほとんどが彼女のウソを見抜けないのだが、たったひとり盲目の老女だけは
だませなかった。
目の見える人は、視覚による情報で判断するのだが、その情報が断たれている老女にだけ
真実が見えていたという皮肉。

女にとってのその誤算が、結果的に女を追い詰めたのだろう、意外な結末へ。

あきらかにされた真実に、少なからず救いのようなものも感じつつ。
でもやっぱり無残に殺されてしまった人には、なんの救いもないと思ってしまう。





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by soranosanngo | 2018-11-26 19:58 | 読書ノート | Comments(0)

読書note

村上春樹・著「アンダーグラウンド」「約束された場所で」を読む。ノンフィクションを読むのはすごく久しぶりだった。普段は小説を読むことが多く、それは現実を忘れてしばし物語の世界を楽しむことが好きだから、だと思う。ノンフィクションは本当にあった現実だ。自分が営んでいる現実を遥かに凌駕してしまうような現実がどーんを来るので、読後は気持ちが重くなる。

両著は地下鉄サリン事件に関する本で、被害者、関係者へのインタビューが載せてある。
文字を追いながら、その時々に、証言さえすることさえ叶わない亡くなられた被害者の方々のことを想ったりもした。

事件が起きた平成7年3月20日は私が結婚するちょっと前で、毎日忙しく働いていて、テレビのニュースでちらっと事件のことを知ったような気がする。その時はそんなに大変な事が起きたという実感はまったくなかったと思う。
そのあと、東京で働く友達が「あと何分遅く家を遅く出てたら自分も被害に遭ったかもしれない」と言っていて、「紙一重だったね。よかったね」という会話をしたことを覚えている。
その真反対に、紙一重で被害に遭遇してしまったケースがあって、その紙一重ってなんの違いなんだろうと思う。思うけれど答えはない。
その記憶の一点が長い時を経て、この本につながった気もする。
長い時、宇宙の時間からすればささやかな一瞬にしかならないけれど、その間に結婚し、二人の子どもを産み、病気を得た。
今、私が生きていることも、なんらかの力が作用したかどうかはわからないけれど、紙一重の結果だったのかもしれない。

ある日、それまであった日常が、本当に理不尽に奪われてしまうという怖さ。怒り。悲しみ。
それに対して何か出来るかといえば、何も出来ない。ただ日常を過ごすだけ。
そう思うと、毎日35℃を超える酷暑の日々を熱中症の心配をしつつ汗をかきながら生きているだけで幸せなのだと、思えなくもない。
(けれどやっぱり秋が恋しい)

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by soranosanngo | 2018-08-09 12:26 | 読書ノート | Comments(0)

「初恋と不倫」坂元裕二

「不帰(かえらず)の初恋、海老名SA」「カラシニコフ不倫海峡」の二編。
それぞれ二人の男女の往復書簡(たぶんメール)の形をとって物語は進んでいく。
台詞だけで、脚本のようにト書きがない。でもト書きがなくても、ちゃんと成立するのがすごいと思った。
舞台に言葉だけがあって、進んでいく二人劇のよう。

蜜蜂が一生かかって集められる蜜の量はスプーン一杯ほどである」といった文章があったが
あれは本当なのだろうか。
もし私が蜜蜂で、それを知ったら、虚しいと思うかもしれない。
蜜蜂なんかやめたくなるかもしれない。
だけど生きてゆく限り蜜蜂はやめられない。
私が人間として生きていて、蜜蜂が蜜蜂として生きている。
そこには大きな違いがあって、その身の上が入れ違うことなどありえない。
だけど本当のところ、どうなのかなと思ったりもした。


スプーン一杯の蜜さえ集めることも出来ずに人は逝く。
そしてスプーン一杯の蜜を集めたことさえ誇ることも悲しむこともなく
蜜蜂は死んでゆくのだなあ、とか、
本筋とは全然関係のない台詞で立ち止まること多々あり。
もちろん本筋も面白かった。
どこか壊れかけていて、だけど切なくて。
そんな小説でした。

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by soranosanngo | 2017-09-08 12:04 | 読書ノート | Comments(0)

 手に取ると、著者の手の温もりが伝わってくるように思えるのは
 手作りならではなのかな。
 ぺーじをめくるたびに、つられた赤いビーズが揺れる。
 途中にはさまれたうすいトレーシングペーパーから透ける和紙の美しさ。
 詩作品から、そして詩集本体からも、伝わってくるのは繊細でいてリリカルな作者そのものという気がする。

 『浮遊する まなうらの昏さ/湛えるものを失った耳朶の薄さが/あなたへの距離をはかる』
こんな出だしから始まる表題でもある詩「まなうら」は、生きることがふるえているよう。

「夏の氷室」のなんともえないしーんとした冷たさがいい。
『それは ゆっくりと しんでいくことですね』
氷室には真の意味で透明な、透明すぎる氷が在って、ここでも私は生と死を重ねてしまう。

「約束」はとても好きな詩なので、またここで読むことが出来て幸せ。

「横浜 外国人墓地」

 横浜は私にとってなじみのある場所で、外国人墓地も何度か訪れた。
 外国人墓地は石畳の坂を登ったあたりだったろうか。
 見慣れた日本の墓地とは違う様相だったけれど
 そこに漂う静謐な空気が、人でにぎわう通りのそれとはあきらかに違っていた。
 その横を通り過ぎる時、ここに埋葬された人の人生をちらりと思ったことを覚えているのはなぜだろう。
 死というものが何よりも遠かった若い私。
 『風は/預けたものの結び目の/小さな綻びから/吹いてくる』
 この詩の終蓮を読み、あの時も吹いていただろう横浜の海風を
 とても近くに感じた。
あの頃私に吹いていた未来からの風が、巡り巡って過去から吹いてくる、そんな想いもして。

 まーさん、素敵な詩集を(お土産も♪)ありがとうございました。
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by soranosanngo | 2017-05-02 14:10 | 読書ノート | Comments(0)

まず表紙の絵から惹きつけられるものがあった。
空中に浮かんだ大きな目玉(のようなもの)、そして手をつないだ男女。
眼玉はタイトルの「死水晶」に重なる。男女は冒険の途で、今、不思議な輝くものと出会う。
そこは幻夢の神殿なのだろうか。
そんなストーリーがそこから語られているようだ。

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作者の白島さんとは現代詩フォーラムという詩の投稿サイトで知り合い、
とても文学性の高い詩を書かれる方だと以前から思っていた。
一篇の詩がその詩人の今日だとしたら、詩集というものは今日まで積み重ねた厚みのあるもので
読み終わった時、旅をした気分になった。
「死水晶」を巡る旅。
とても素敵な読書体験であった。

特に長編詩「肉体の創世記」に感銘を受けた。
 
 五日目に
 生まれたまばりの鳥が
 意味の彼方へと
 羽搏いていった
 その地平が僕の心象風景〈死〉である
 と気づいたとき
 近しい死への
 ふかい距離を垣間見た
 ぼくという主語は消され
 仮構の小舟は廃船と化した(「肉体の創世記」より一部抜粋)

生と死の近さを感じ、またそれらはめぐるものではないかと思う。

 半ズボンが草野球している地平から
 少年の日の合鍵が見つかったとしても
 ぼくは そっと仕舞いこむだけだろう
 埃だらけの状差しに

 幾千台もの機織り機が
 ぼくの血を織っていってしまうので
 ああ 空はこんなにも重いのです(「失恋」より一部抜粋)

失恋の痛みをこんな風にリリカルにうたわれると、失恋することもそう悪くはないことなのかも
と思えてしまう。

そうそう、ペンネームのからくりも面白かった。
「し」が三回も入っているのは、それが詩であり死でもあるのかな? ふと思う。

とても素晴らしい詩集をありがとうございました。





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by soranosanngo | 2017-03-21 12:38 | 読書ノート | Comments(0)

福島原発事故にまつわる様々な人の実情を描いた短編小説集。
そのタイトルが「道成寺」「黒塚」「卒塔婆小町」「善知鳥」「俊寛」とある。
どれもが能のタイトルだ。
絶妙に能の内容が現代に生きる人間の行き様とリンクしている。
電力もない昔に比べても、人の世とは、人間とは変わらないものなのか。

読み進めていくうちに、まるでノンフィクションかのような錯覚に陥る。
「原発で亡くなった人はいない」と国会議員が発言したことは本当のことだし
川内原発(せんだいげんぱつ)のことを「かわうちげんぱつ」と云った大臣のことは記憶にある。
「道成寺」では、主人公の原発作業員がベントを手動で操作する
「決死隊」の一員となりその任務を遂行する。
(電力を産む原発で、地震、津波による破損で電力が使えないなんて
 笑えないブラックジョーク、といったら不謹慎だろうか)
彼には日本を救うなどという使命感はない。
あるのは
「できることなら、この場から今すぐ逃げ出したい」という想い。
あの日。
私はテレビを見ていた。
建屋の中で誰かが命を削って作業していたことさえ知らずに。
水素爆発が起きた。
もう何年も前のことのように思えるのだが、たった6年余り前のことだ。
「道成寺」の蛇の最期は入水して終わるのだとか。
現代の「道成寺」の終わりは永遠とも呼べそうな永い時間が必要だそうだ。
プルトニウム239の半減期は約二万四千年と書かれてある。
その頃、人類は地球で生息しているのだろうか。

この小説がSF小説であったら楽しめただろう。
小説としてとても面白いけれど
面白かったということは、はばかられる。
ここに描かれていることは紛れもなく現実に根差した
震災小説なのだと思うとおそろしい。
「黒塚」の中で被爆についてとてもわかりやすい説明があった。
放射能とは、細くとても固い糸のようなもので、それにとっては人体は豆腐のようなもの。
それは細胞のDNAさえも貫いてしまう。
DNAには傷を修復する能力があり、微量な場合はそれほどの影響はないそうだが
大量被爆によって傷つけられると細胞レベルで死んでいくか、癌化するのだそうだ。

表紙には砂漠のような地に建っている宮殿のようにも思える建物。おそらくその中には
[象]がいて、高い放射線を出し続けている。
端っこに、二羽の鳥と、二人のとても小さな人間がいた。

2017年1月19日読了

<追記>
2017年1月20日に、高浜原発で、クレーンが原子炉補助建屋と燃料取扱建屋に倒れ込んだというニュースがあった。
強風のためらしい。
強風も想定外ということなのか。
屋根の破損だけで、建屋自体に破損はないという。あったら大変なことになっていたのではないだろうか。
なんだか原発ってタイトロープの上にいまだにいるみたいだ。



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by soranosanngo | 2017-01-20 13:04 | 読書ノート | Comments(0)

 ホラーかなと思いつつ読んだら、そういう描写はなくて最後まで読めた。
 久しぶりに読んだエンタメミステリー?系小説だったけれど、いろんな謎が明かされていく面白さであっという間に読んでしまった。
 作中作の昭和初期に書かれた吉屋信子みたいな小説と平行して現代のお話は進む。
 太い縦糸が数本あって、それに張り巡らされた横糸。
 それがちゃんと模様になっていく感覚。なるほど、そういうことかっていう感じ。
 お嬢様のゆくえは? それはラストで明かされるのだが、なんとなく想像してたもののひとつだったので、そんなに驚かなかった嫌な読者です(笑)
(ちなみにやけに丹念に描かれている美味しそうな高級料理の数々はその伏線だと思われます)
 時代は変わっても人間はやっぱりオソロシイ生き物だけど、主な登場人物のキャラクターに救われるお話でもありました。

 ちなみに一番怖かったのは、お話に中で「まりも」をペットにしているというところ。
超個人的でごめんなさい。でも読書の醍醐味のひとつに、その超個人的なところが作者、もしくは作品とリンクしてしまう、ってところかなとも思ったりする。
 最近「まりも」という名前の登場人物で小説を書こうと思っていた私にとって、このシンクロはかなりぞぞっとするものでした。
やっぱりホラーだ! 超個人的なくくりで。(笑)

 10月6日読了。
 

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by soranosanngo | 2016-10-07 08:17 | 読書ノート | Comments(0)

 人生の中で、愛する人の死ほど哀しいことはないと思う。
 けれど残された人は、どうにかして生きてゆく。そのために『日常』は用意されているのだと思うし、「昨夜のカレー」や「明日のパン」が文字通り食べて命をつないでゆくための、ささやかだけど大切なことであるのだなあと思った。
 

(以下文中より抜き書き)
 「もういいよね。一樹は死んだってことで」ギフはうんうんとうなづいた。
 「もう、ここにはいないってことで、もうそういうことで、いいよね?」

  照明がカチカチと点滅した。ギフが見上げて
 「一樹もそれでいいといってる」
 と言った。


 照明がカチカチしたのは、電球が古くなったからなのだろうけど、それが亡くなった人からのサインだと思ってしまう、もしくは思いたい、そんな気持ちに共感してしまう。生きている人は、時に庭に入り込んだ蝶や、夏の水辺に光る蛍やに、誰かを想い重ねる。そうすることで悲しみがいくぶん和らぐのを感じるだろう。
「いない」とすることは、忘れてしまうこととは違う。
 亡くなった人を「もうここにはいない人」と納得できるまでの日常が、時にユーモラスに淡々と描かれている。

 最後まで読むと、ちょっと謎めいたタイトルが心にストンと落ちてきた。


 「一本の線」

 昨日という一本の線があった
 そこへ今日という線を重ねる
 時に慎重に
 時に乱暴に
 そして明日
  わたしはふたたびそこへ
 新しい線を重ねるだろうか
 
 真正面から見た線は
 細く儚げに見えるけれど
 角度を変えてながめれば
 重なった分だけ
 太く 育っている
 
 線は すっくと立っている
 
 人生の営みの中でめぐりあった
 たくさんの見えない手に支えられるようにして

        珊瑚

 

 
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by soranosanngo | 2016-07-03 11:56 | 読書ノート | Comments(0)

2015年芥川賞受賞作品。遅ればせながら読んだ。
この本はお笑い芸人である主人公とその先輩の悲喜こもごもを描いた小説。

笑うとちょっと幸せな気持ちになる。たぶん心にいい作用があるのではないかと思うし、笑うということが健康法のひとつであるとどこかで聞いたこともある。

人を笑わせるということを職業にするって大変なことなんだなあと思う。
「面白いでしょ」と押し付けられれば、たぶん私は笑えない。
この本の後半に出てくるお笑いの会話文の一幕があるのだが、ここは本当に面白く、そして泣けた。
ここにたどりつくまでのいろいろな想いがまさに火花を散らしているように感じた。

テレビに出ている若手芸人と呼ばれる人たちが一年後まだ活躍している確率はそんなに高くないだろうと想像する。

「――ずっと笑わせてきたわけや。それはとてつもない能力を身につけたということやで。ボクサーのパンチと一緒やで。ただし芸人のパンチは殴れば殴るほど人を幸せに出来るねん」(文中より抜き書き)

 絶妙な比喩に深くうなずいてしまった。笑いの火花、幸せな火花。

「同世代で売れるのは一握りかもしれへん。でも周りと比較されて独自のものを生み出したり、淘汰されたりされるわけやろ。この壮大な大会には勝ち負けがちゃんとある。だから面白いねん。でもな淘汰された奴等の存在って、絶対に無駄じゃないねん」(文中より抜き書き)

お笑いの世界だけではなく、普遍性を含んだ言葉だなあと思った。頂点を目指し頑張っている人の多くはその頂点にたどりつくことは難しい。けれどその頂点は点で出来ているわけではなく、裾野の広がった三角形で出来ているのだ。
また、人より屈折していて、不器用にしか生きられない先輩のそんな言葉が胸を打ち、そこに人生の無情を感じつつも、温かい。
学校で、社会で、人はおのれの不器用さを(多少の違いや自覚するかしないかはあるとは思うけど)矯正することを葛藤しながらも学び、人間社会に順応してゆく。
だから大人になってもいまだ「純正」な不器用さを手放せない先輩のことを、愛おしく思えるのかもしれない。
そしていつも周りになじめずにいるような彼のことを、まっこうから肯定しているこの小説をも愛おしい。


先輩と後輩という立場が、読み進めていくうちに、距離感が縮まっていき、最後は逆転するようなラストもどこか温かく、幸せな気持ちになった。読んでよかったと思った。

芥川賞とか純文学というと難解なイメージを持ってしまうが、この本はすらすら読めて面白かった。
ちなみに高校生の娘も面白かったと言っていた。
じゃろー! じゃろー!!(広島弁・そうでしょうの意味)
たいてい私が勧めた本を娘は面白くないと言うので、久しぶりに親子の感想が一致したのも嬉しい。
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by soranosanngo | 2016-06-16 15:18 | 読書ノート | Comments(0)

一枚の笹舟。それが川をくだり、海へ出てゆく。
それが一人の女の人生をメタファとして立ちあげるような物語だった。

人は選んで産まれてくることはできない。
たとえば、時代。戦争のあった時代、幼かった主人公は疎開地で過ごす。
そこでの過酷な生活。飢えというものは想像がつくが、飢えた者の中でのいじめ。
いじめた方は時間とともに、その記憶を失い、いじめられた方は忘れられない。
人の記憶とは都合よくできている。
忘れられない記憶が、それからの長い一生を左右してしまうほど強烈だったとしたら
悲劇だと思う。
「ばちがあたる」とか「因果応報」とかは童話や昔話になかのことわりであり、現実的には起こらなかったりする。そもそも「ばち」をあてることが出来るのは誰なのか。
けれど主人公の義理の妹となった女は、そんな忌々しい記憶さえ、生きる糧として
いうなら「勝ち組」として人生を渡ってゆく。
荒波さえ人生の醍醐味とでも言って楽しむように。
まるで計画通りに生きてゆく義妹のしたたかさが、ちょっとこわくもかんじる。
主人公の生き方はそれに対極的だ。
結婚して根を下ろしたような気持になっても、いずれ家族はばらばらになり、住む家さえ変えざるをえない。
家族がいるから幸せだというのは一方では幻想で、家族があるがゆえの苦悩がそこにはある。
年齢を重ねても、人生は海をゆくよるべない笹の舟のようなのは変わりない。
どこへという目的もないまま、ただ渡ってゆくしかないのだろう。

小さい頃、笹舟を作ってふるさとを流れる川に流したことがあった。
子どもの遊びというものは単純にやっていながら、あとになって思い起こせば実は深いことを秘めていたような気もする。
わたしが流した笹舟は、海へたどりつけたのだろうか。
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by soranosanngo | 2016-03-11 13:58 | 読書ノート | Comments(0)