日々をたたかいぬくために、実弾というものを人は持っているのだと思う。
端的にいえば、労働をして金を得ることにくくられるような現実を生きるために必要なもの。
この小説には「砂糖菓子の弾丸」を撃ちまくるちょっと変わった転校生が出てくる。けれど砂糖菓子で想起させるような、メルヘンでも甘い話ではない。辛い話だ。
海野藻屑は父親に虐待されて育つものの、父親の愛を求め続けている。虐待されているからこそ、ともいえるのだろう。(そこをストックホルム症候群という特異な心理状況にからめて説明し、なるほどと思った。家庭とは最小の密室であるのだから)
藻屑の砂糖菓子の言葉はどこまでが嘘なのか本当なのか、わからない。虐待によってできた痣を「汚染」だという。自分のことを「人魚」だという。安心を手にいれたいと思うものの、そこから逃げるすべを持たない高校生。 けれどどうにかして逃げて生き抜いてほしかった。
ひとつ気になったのは、とある問答を引き合いに出して、藻屑の父親がまるで特別な人間のように描かれていたように感じたこと。可愛がっていた犬、そして娘までも殺してしまうなんて、悪魔じゃないか。心理学ではサイコパスとか呼ばれているそうだが、特別な人間なんかじゃないと言いたい。
これは小説、フィクションだけど実際にそういう事件ってあるんだよなあ。
世の中のニュースで、子殺しなんて珍しくないし、心のどこかで「ああ、またか」と悲しんだり怒りがこみ上げてくるものの、翌日には忘れ去られてしまう類のものであると思う。「生き残った子どもだけが、大人になる」けれど大人になってからもたたかいは終わらない。としても、そんな世界を生きる権利はどの子どもにもあったのだ。
藻屑の世界は理不尽きわまりなかったけれど、救いは主人公の「あたし」のなかでこれからも生きていくのだということ。せめてそう思わなければ悲しすぎる。
2014.10.8.読了